とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

2023年に正義について考えてみる

けっこう前ですが、このブログで正義について書いてみて、その時は正しさの判断基準や正義が衝突した際はどうすりゃいいんだ、みたいなことを書きました。

toaruit.hatenablog.com


特に私の考えは今でも大きく変わってないのです。しかし世の中の考え方も当時から大きく変わっていないように感じていて、少し前に以下の記事にあるような、いわゆる「私人逮捕」も話題になったりしました。ので今回、あらためて正義について少し書いてみたいと思います。

agora-web.jp


私人逮捕も、いわゆる正義に基づいて一見行動しているように見えます。ただ、私はそれは少し懐疑的に見ていて、いわゆる正義と思われるものを利用して、自分達の利益を得るためというような意図も感じています。もちろん良からぬことをした人に対して、注意するのは真っ当と感じますが、暴力的な行為で押さえつけたり動画にしたりするのは、やはり違和感を感じます。特に日本は法治国家なので、違反などについては法で裁かれるべきというのが大原則です。私人にできることは基本的に罪を告発するところまでで、自身の正義で罪を裁くことはやるべきでないと私は考えています。

また、ひたすらに正義を主張し続けることは、問題の解決に至らないことが多いと感じます。例えばウクライナの問題は2023年になっても解決しておらず、ウクライナ政府のトップが言う「正義に基づき」という考えが良い選択であるかは、個人的には少々懐疑的です。

newsdig.tbs.co.jp


正義を主張するなとか別に言いたいわけではなく、正義を主張することは副作用的なものがあるということです。私自身も何かあったときは自分の主張を表明する時はありますし、それによって衝突等も起こることもあります。ただ、正義の衝突が起きる時は必ず相手方がいて、自分の主張や行動によって相手の利益を損なうこともあります。なので、自分の正義を通した際は、相手の正義も何かしら受け入れるという精神は非常に大事になってくると思います。

とは言え、全員を平等にするという状況はやはり無理です。主張によって相手に思いもよらぬ損害を与えてしまう場合もあるでしょう、私も知らずのうちにそのようなことをしていたかもしれません。だから、Official髭男dismの「イコール」という歌の歌詞にもある通り、

youtu.be

どんな時代が訪れても 世界中の人の笑顔は見られない だから大切な出会ってきた人とは何があっても最後は「=」で繋がりたい

という意識は、日々生活する上で大事なことのかなと感じます。