このブログで何度か取り上げた「自己責任」というテーマについて、あらためて取り上げてみたいと思います。前に書いた記事でも取り上げましたが、自己責任については以下の考えでありことは私は変わっておらず、自己責任には相応の判断力がある人が負うべきものという認識です。
経済活動における自己責任論の背景には「相応の意思と能力を持った人が参加」することが前提になっており
投資をする意思や能力がない人が、騙されて投資をした場合、自己責任ではなく、被害者という位置付けになるはず
この前提を置くと、筋の悪いものに安易に手を出してしまった人を、自己責任と断定して終えるのはちょっと違う気はします。自己責任の前に、サービス提供側の説明責任は果たされたのか。サービス提供側の責任もきちんと問わないと、いわゆる情報弱者が損をする流れは変わらないと私は考えてます。
そもそも日本においては以下の記事にあるように、説明責任という意識が希薄という視点はあります。いわゆる「言わなくても通じる」という日本的な風潮があるように私は思います。
日本の社会には説明責任を果たさないだけでなく、説明責任を求めないという文化的な仕組みがあるよう
批判的な姿勢でサービスについてあれこれ聞くというのは、少し憚られるという気持ちはわかります。あれこれ聞くくらいならサービス受けなくていいよ的な、態度を提供側もとることはあるでしょう。良さがわかる人だけサービスを受ければいいと言って、批判するような外野をシャットダウンするようなことも珍しくはないかなと思います。
ただ、個人的にはそれはあまり健全でないと思っていて、批判を受ける部分を含め可能な限り説明責任を果たす姿勢が提供者としてあるべきなのではと感じます。どんなサービスでも、賛否両論あることは致し方ないことではあります。ただ「賛」ばかりをもてはやすのではなく「否」の部分に対しても向き合うことが、サービスを提供する側も受ける側も今後考えるべきことなのかなと。
さて、この説明を求めないという日本的な文化について、個人的には興味深い点と感じています。観点を変えて、もう少し次回の記事で深掘りしてみたいと思います。