とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

アフリカの貧困問題とSDGs

SDGsって最近よく聞きますよね。2015年に採択されてから数年経って、今はかなりニュースとかでも取り上げられる機会が増えてると思います。SDGsでは17の目標を掲げていて、そこには貧困だったり飢餓をなくすことや、教育機会の均等などが掲げられています。この目標自体は特に何か引っかかるというのもないし、この目標のような世界が実現すれば良いなと私も思います。

www-v2.sdg-s.jp


さて、翻って現実を見ると、特にアフリカの地域なんかは、貧困の状況が中々改善しないわけです。たびたびニュースにもなってますが、日本等の外国は支援してるのに、なぜかという話になります。
一因としては、支援が貧しい人には十分に行き届かず、途中で搾取する人がいるという話。搾取する人は豊かになるかもですが、支援を必要とする末端の人達がいつまでも、豊かになれないという状況があるようです。

chikirin.hatenablog.com


衣食住で満たされない状況にあると、当然教育も十分できなくなってしまうわけです。教育が疎かになると、善悪の判断基準が養われず、結果、内戦等の戦場に引き込まれてしまう面があると。下記の記事にそういった見解が書かれています。
また、その人達が大人になって自分達の子供が出来たとしても、貧困が解消されないと子供達もまた同じ状況になって、中々そのループから抜け出しづらい感じはします。

【【アフリカ経済】現地で働いていた僕が肌で感じた"アフリカだけ"が発展しない明確な理由】
https://www.travewriter.com/entry/africa-problem-economy-reason

もちろん他国からの支援は必要だし教育も必要なのですが、やはり基盤となる経済を作らないと、こういった地域で中々SDGsの達成は実現できない気はします。そのためには、現地の人達がちゃんと起業できる仕組み作りが、手段の一つとして挙げられます。
以下の記事にあるジャック・マーの取り組みとか、良いなと思います。ジャック・マーはアフリカの起業家を支援する活動を行なっていて、そこで成功した起業家が教育インフラにも関わっていたりします。

www.jscore.co.jp

 

日本でも昔の渋沢栄一の取り組みにあるように、経済の自立した成長と教育は関連性が深いと私は考えています。もちろん従来型の支援も大事なのですが、一方でいかに現地の人が主導で経済を回せるかというのも大事です。そこで、雇用のニーズが高まることで教育の必要性もより認識されていくのかなと感じます。SDGsを実現する上で、もちろん環境等の取り組みは大事なのですが、一方で今貧困で苦しむ国をどう経済的に自立させるかというテーマはよりフォーカスされても良いと思ってます。

www.kokugakuin.ac.jp

 

なぜ精神論がナンセンスになってしまうのか

最近は政府のコロナや五輪対応で、それ単なる精神論だろ、と突っ込みをいれたくなることが、ちょこちょこあると思います。少し前の記事ですが、丸川大臣が「五輪で絆を取り戻す」といった、ちょっと良く分からない精神論が印象的ですね。

mdpr.jp


コロナの普通でない状態だから、根拠のない精神論がイラっとくる部分はありますが、精神論が通用しなくなったのは、時代の流れかなとも感じます。私の前のブログ記事でも取り上げましたが、昔は終身雇用で真面目にがんばれば良かった時代が、今は真面目にがんばったところで、高い収入が得られるとは限りません。
なので、良かった時代の年寄りが精神論を振りかざしたところで、反発が生まれてしまうし、そこは世代による分断があるのかなとは感じます。

sugimuratakashi.com


では、それ精神論じゃねという反発が出ないようにするにはどうすればよいか。一例を挙げると、下記の記事にあるチームビルディングの進め方などが参考になると思います。
チームビルディングというと、とりあえず打ち合わせを増やすとか飲みに行く、みたいになりがちな部分はある感じはします。この記事を読むと目標達成までの必要なプロセスの決め方と、気を付けるべきポイントがあって分かりやすいです。精神論で押し切るのではなく、一つ一つステップを踏んで目標達成のためにどう道筋をつけるか、というのは大事だなと思います。

www.businessinsider.jp


プロセスを決めたとしても、もちろん事前に想定した仮説が外れることはあるわけです。そこに対して外れたから批判するのではなく、ではどうすれば良かったかという前向きに議論できる土壌はそこでやっぱりダメじゃんという批判をするのではなく、なぜダメだったか、次はどうすれば良いかという建設的な議論が必要と思います。実行主体がきちんとプロセスを踏んで物事を進めてるなら、批判する側も精神論ではなくきちんと分析した上で批判すべきと感じます。

さて、ここまで精神論はいかんよねということを書いてきたわけですが、特に精神論を全否定したいわけではなくて、精神論が必要な時は必要なわけです。どんだけプロセスを踏んでも人のやる気が全然なかったら物事は成功しないでしょう。また、人間は感情的な生き物なので、その時々によってパフォーマンスが変わってくることもありうるわけです。
そんな時大事なのは、下記の記事にあるような信念や価値観のすり合わせです。いかに押しつけにならずに、その人の自主性が発揮できるように精神論的なのを使ってくかが、大事なのかなと思います。

skaughh.com

システムの開発とエンジニアの雇用

以前にこのブログでも取り上げた終身雇用について、今回はシステム開発に絡めて書いてみたいと思います。というのも、システム開発の体制と日本の雇用は関連していると私は考えています。日本の雇用のやり方やITの活用が変わろうとしてる今、システム開発の体制も変わっていくのではとみています。
さて、終身雇用は事実上崩壊してると言っても過言ではないですが、最近は終身雇用とセットである年功序列型の給与モデルも、見直されつつあります。下記の記事にあるように、ソニー三菱ケミカルなど大企業において年功廃止の流れが出てきています。

allabout.co.jp

 

年功序列型の賃金がなくなってくるとなると、企業は社員を在籍年数ではなく、就いたポジションであったり責任範囲であったり成果で評価せざるを得なくなります。ということは、企業にとって成果に貢献しない人材については、給与が下げられることが今後起こってくるだろうし、正社員だからクビは切られないという保証もないでしょう。もちろんアメリカみたいに、がんがんクビにするのはやりすぎと思いますが。。
システム開発について、終身雇用の時代は自社にエンジニアを抱えるのはメリットが少ない、というのは分かります。プロジェクト毎に必要となる人数は異なるし、何よりITがビジネスのコア領域として認識されてない時代だった、というのもあると思います。ただ、今の時代はどの業界であってもビジネスのコア部分でITが必要となる場面があるし、システム開発をベンダーに丸投げするというのは、コア領域を丸投げする行為になってきてると感じます。
また、エンジニアはスキルがあれば転職しやすい職種です。ので、現状であれば過去の終身雇用に縛られることなく、ある程度自社にエンジニアを確保するのは企業にとってリスクはそこまで大きくないと感じます。賃金も年功序列ではなく出した成果で評価することができれば、例えば働かない社員がずっと高い給料のままい続けるといったことも、少なくなるでしょう。
とはいえ、全ての開発を自社でまかなうのは現実的ではなく、ベンダーの仕事自体は残り続けると思います。ただそこで、何がビジネスのコア部分で何が自社のノウハウとして貯めなければいけないか、という見極めが大事と考えています。そこをベンダー任せにしていては、ITを自社で使いこなせない状況は解消しないし、今の時代にITの活用なしでビジネスを大きくするのもけっこう困難とは思います。

天才の創造性を政治に活かすためには

以前にこのブログで、天才の創造性をどう活かしたら良いかについて書いてみましたが、

toaruit.hatenablog.com


今回は少し政治にフォーカスをあてて考えてみたいと思います。台湾ではオードリー・タンのような超天才が政治の中枢にいて色々な取り組みを行ってますが、日本ではまだまだ難しいかもしれません。それは日本に天才がいないからというわけではなく、そもそも日本天才を必要としている組織構造にまだなっていないからと私は感じます。
では日本は今どのような構造なのか、ちょっと私見ですが書いてみます。政治に竹中平蔵さんが関わってくるようになって行われた政策の方針が以下の記事にある「トリクルダウン」です。つまり、大企業や富裕層が豊かになればその余剰で投資が発生し、経済も豊かになるというものです。で、この政策をここ何年か続けてきて日本は豊かになったか、おそらく豊かになったと答える人は少数でしょう。

www.mag2.com


投資が発生しない状況下でのトリクルダウン政策の結果、何が発生するかというと「富の独占」になります。富を独占するものが投資をしないということは、いかに安く経営資源や労働資源を調達して利益を上げるか、というのが彼らの主眼点となってしまいます。少し前に、政府がオリンピックのための開発エンジニアを、民間ではあり得ない賃金で採用しようとしたことは記憶に新しいところです。政府や大企業は今もこの論理で動いているので、この構造を変えない限りは天才がいたところで安く買い叩かれるだけとなるので、そもそも天才がいたとしてもこういった組織とは関わりたくないと感じるでしょう。

今はIT活用のモデルケースとして取り上げられている台湾ですが、一昔前の台湾でも今の日本と似たような状況であったわけで、それを変えようとしたことがオードリー・タンの抜擢へとつながったわけです。オードリー・タンを大臣に抜擢したのが「蔡玉玲」という政治家で、彼女がいなければおそらくオードリー・タンが政治に入ることになかったように思います。

crea.bunshun.jp


日本に今必要と思われるのはオードリー・タンではなく蔡玉玲で、ちゃんと能力がある人を引き上げられる権力を持った人です。日本でも「未踏スーパークリエータ」という素晴らしい取り組みがあって、私なんかは到底かなわないような天才が毎年のように発掘されています。こういった素晴らしい人材を、政治の世界で重要なポジションと高い報酬を与える、これをやるだけでも日本のITであったり政策は、随分変わるだろうと私は感じます。

www.ipa.go.jp

仮説検証とアジャイル

アジャイルについて、私のブログでも何度か取り上げました。そこではエンジニア自身が限られた工程だけをやるのではなく、ビジネスと対話しながら一人一人が開発を自己完結させることが大事と書きました。今回はなぜこういった意識が大事かというのを、もう少し書いてみたいと思います。
まず前提としてアジャイルでの開発はスプリントと呼ばれる、数週間の単位でリリースできるものを開発していくスタイルで進めていきます。これは開発のスタート時に全ての要件が決まらないし変動しうるという前提にたち、要件が決まっている部分であったり、重要な機能から作り込むという目的があります。
もちろん、この目的も大事ではあるのですが、一方でリーンの考えである「仮説検証」のサイクルを回すことも、アジャイルを効果的に回すためには大事と私は思います。以下の記事ではリーンとアジャイルを別の考えとして扱っていますが、個人的にはリーンとアジャイルはセットで進めないと、なかなか効果を発揮しないのではと感じます。

www.blockchainengineer.tokyo

 

携わる人がある種の仮説を持って開発に取り組まないと、作った機能はそもそも正しいか、次に何を作れば効果が出せるか、といった思考のサイクルが回らず、ウォータフォールと変わらず言われたものを作るといったことが、起きてしまうのではないでしょうか。アジャイルにも色々なプラクティスがありますが、ただ、漫然とプラクティスを実行したりスプリントをこなすことだけで、アジャイルをやる意味はあまりないと思っています。
その点だと、下記の記事にある通りアジャイルとは組織論であって、いかにチームメンバーが良いプロダクトやサービスを実現できるために、仮説検証を実践できるかという仕掛けなのではと思います。

a-suenami.hatenablog.com

 

下記の記事にもありますが、
「一昔前は、会社の事業はそれほど流動的でなく、一人の管理職が永きにわたって活躍できた。だが、現在の企業は本質的に事業が流動的であり、脆弱である。また、求められる能力の変化が大きい。」
というのが今のビジネスの環境です。事業が流動的である以上、その流動的な流れに対応できる開発体制が望ましいと私は感じます。流動的な流れに対応する一つの手段が「仮説検証」であって、開発する機能はもちろんのこと、チームの体制や人材の配置を含めて、きちんとサイクルを回せることが大事なのかなと感じます。

blog.tinect.jp

 

学校に行かなくてよいという価値観とカイゼンの精神の対立

少し前から学校へ行かなくてよい、と主張するYouTuberが世間をにぎわせてますね。もちろん、心身をすり減らしてまで行く必要はないと私も思いますし、諸々の事情で学校へ行けなくなった人の受け皿は必要とは思います。ただ、学校は行かなくてよいものかと言われると、私的にはNOです。今回は少し、私の考えを書いてみたいと思います。

なぜ学校は行かなくてよいという意見に反対なのか、それは毎日こつこつと通うということは非常に大事と私は考えてるからです。毎日こつこつと何か物事を行うのは、将来重要な資産になると考えてます。それを学校なんか通わなくてよいと発信するのは、毎日通ってる人に対して失礼なことと感じます。
では毎日通わなくてもよい、学校なんか行かなくて自由にしてよい、となったらどうなるでしょうか。何か問題や苦しいことがあったら、逃げてもよいということにつながって、最終的には思考停止につながると私は考えています。もちろん、ほんとに苦しいときは逃げるべきなんですが、ただ逃げるにもタイミングが大事です。ちょっとのことで逃げると、物事の本当に大事なことを見失うと私は思います。そもそも逃げる目的は、自分が危機に陥るリスクを回避することであると私は考えています。何がリスクか判断出来ない人が、ただ逃げることを覚えるのは思考停止でしかないのではないでしょうか。

一方で今問題だらけの学校に行ってもしょうがないのではないか、という意見もあると思います。たしかに、学校教育は問題だらけだと私も感じますし、そこに価値があるかと言われると自信を持ってYESとは言えません。ただ、私は思うのですが、問題があればそれは放置せず解決しなければいけないし、そこから逃げることは将来につながるかというと、そうは思いません。大人の責任はもちろん大きいですが、何より学校は子供が主役なので、きちんと大人と子供で問題解決できる枠組みが必要と感じます。
日本は下記の記事にあるような「カイゼン」の取り組みが、ここまで成長してきた一つの要因として挙げられます。カイゼンの第一歩目は問題の把握です。何よりまずは問題意識を持つのが大事と考えています。

www.ashita-team.com


今問題がある学校という基盤を「行かなくてよい」と言って捨ててしまうのか、それとも問題と向き合って良くしていくのか。私だったら後者の道を選びたいと感じます。多くの若者がまだ学校に毎日通ってますし、もちろん彼らも学校には何かしら問題があると思ってるでしょう。だから、その問題意識を何とかポジティブな方向に向かせなきゃいけなくて、やはりそれは大人の役割になるのかなと私は思います。

EDRとは何か

最近セキュリティ関連でちょくちょく見かける「EDR」というワード。今回はこのEDRについて少し調べてみたので紹介します。
EDRとは「Endpoint Detection and Response」で、端末に対して何かセキュリティの攻撃が発生した時に、それを検知するのを目的としています。似たようなツールとして、EPP「Endpoint Protection Platform」が挙げられます。EPPはいわゆるアンチウイルスソフトで、セキュリティの脅威から端末を守るものとなります。
ここらへんの違いの詳細は、下記の記事にまとめられています。

www.jbsvc.co.jp


EDRが注目されている背景としては、EDPだけではセキュリティの脅威を保護しきれないという環境になってきたからです。いわゆるゼロトラストの前提でセキュリティを考えなければいけなくて、端末の保護に関して信頼をおかないというスタンスです。なので以前に私のブログで紹介した、端末のアプリケーション管理等を行うUEMや、今回取り上げたEDRが注目されてきてます。

www.nri-secure.co.jp

 

さて、実際にEDRを使われた感想的なのが、下記の記事にまとめられています。例えば端末に何か起きたときのログ収集とか、すぐに行えるらしくて、きちんとセキュリティ担当置いてる会社なら有効活用できそうです。ただ値段は安くはないみたいですが…。

qiita.com