とあるIT屋の独白

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孤独とか発信について考えてみる

少し前の以下の記事で、立てこもり事件を起こした犯人の孤独について取り上げられていました。まぁ、犯行自体は身勝手で孤独が嫌だから犯罪するとか甘えんなって話なのですが、せっかくなので今回は私の孤独に対する考え方を書いてみたいと思います。

news.yahoo.co.jp


多くの人は、多かれ少なかれ孤独を感じたことがあると思います。多くの人は独りでいることにネガティブな印象を持つと思うので、まぁできれば孤独になるのは避けたいというふうになるでしょう。かく言う私も孤独を感じることが多い人生でして、私の場合は学校も一応行けたしお金にもそこまで困ることもなかったので、社会に大きな恨みを持つという心境にはならなかったのかなとは感じます。ただ、学校にも行けず食うものにも困るという状況になれば、自分も犯罪をしていた可能性はやっぱりあって、そう考えると運は比較的良かったのかなとは感じます。

中には人が集まるところに行けば孤独じゃないから、外に出ればいいじゃんという人もいますが、私の感覚はこの意見とはちょっと違います。私が孤独を強く感じるのは人が集まるところにいる時です。逆に独りでいる時はそこまで孤独を感じません、それは人が集まるところにいる時に比べるとはるかに楽な環境だからです。なので物理的に独りでいる時の耐性は私はかなり高いと思います。
ではなぜそのような集団の中で私が孤独を感じやすいかというと、それは集団においての成功体験が少ないからと思ってます。今までの人生で色々な場で仕事をしたりイベント等に参加したりしましたが、きちんと馴染めた経験はやはり少なかったように思います。異なる場で同じような失敗体験をすると、それは環境が悪いと言うよりは自分の特性として集団行動する上で何かしらの欠陥があると考えるようにはなりました。だんだんと集団で何かしようというモチベーションが低くなっていき、むしろ集団から適度な距離を置くことが私にとってあるべき位置なのかなとは今は感じています。

 

じゃあそんな状態でどう社会と関わりを持つか、自分の「メッセージ」を発信するということが今の私の答えです。記事を書いたりSNSでの発信を行っている根源的なモチベーションは、ここにあると感じています。集団にいることよりも自分のメッセージを伝えることが、今の私においては価値をおくべきことと考えています。変に集団に迎合することが、自分にとって合わない可能性が高いことは経験として分かってるからです。どうせ失敗するなら、自分の大事にしてる考えを貫きたいというのが私のスタンスです。
現代の状況においても発信すること自体が、下記の記事に書いてあるように市民権を得つつあるのは私にとって幸いとは感じます。記事にも書いてある通り全員がやる必要はないと思っていて、実社会でしっかり関係性を築くことができる人にとっては、必要性は低くなるかもしれません。

blog.song.mu


ただ、孤独を感じることが多い人にとっては、発信することをやってみるのはおすすめしたいです。実社会になじめなくても、社会とどう関わるかというのはやはり考えていくべきだと思います。私はそのような方法を当面は模索したいと思っています。

とりあえず心境としては、髭男の歌にある「異端なスター」でしょうか。別に異端になりたくてなったわけではなく、生きてる中で結果的にそういう考え方になってしまった感はあります。自分の考えを理解しろとか人に押し付ける気持ちはあまりなく、単純に自分の言いたいことを叫んでるだけです、それが今できる社会との関わり方だからです。

www.youtube.com

『調子にのって出しゃばった火をつけ回る異端なスター』 そんな汚名着せられてもいいから
どうか叫んで歌って 何か変えたいならどうか歌って