とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

正義についてあらためて考えてみる

昨年になりますが、本ブログで正義について書きました。 

toaruit.hatenablog.com


この内容をあらためて読んで1年経ってなんか変わったことあったかなと思ったのですが、まぁあんまり変わったこともなく、相変わらず巷では正義を振りかざすような争いが繰り広げられているわけです。というわけで今回は、もう少し根本的な部分で正義ってそもそも何だっけってのを書いてみたいと思います。
正義って何かというと「正しいこと」です。ってそんなこと分かっとるわっていう話ですが、ではこの正しいことは何をもって正しいことと判断されるか。下記の記事によると、「平等」、「自由」、「宗教」が正しさを判断する基準となるとされています。

diamond.jp


平等と自由は分かりやすいと思います。歴史上の出来事でも、フランス革命天安門事件などなどあり、民衆側の気持ちはまぁ理解できるという人は多いと思います。問題なのは宗教で、宗教は昔から今に至るまで火種の元となってるし、実質無宗教の日本から見ると理解が難しい判断基準だと思います。ただ、日本でも似たような争いが小さいながら起こっていて、宗教とはいかないまでもお互いの思想や考えの違いによるものが原因と私は考えています。この点、もう少し深く掘り下げてみたいと思います。
仕事の場において、下記の記事のような衝突に出くわした経験は、かなりの人がしていると思います。一方が主張する方法論に対し、他方が疑問に感じていて、そのような状況でプロジェクトの成果が上げられないというものです。

diamond.jp


このような場合、どっちかが絶対的に正しいということはないと思っていて、衝突したところでいわば宗教戦争の様相になるので、どうすれば良いかというのは難しい問題です。
一つの解としては、下記の記事にある我慢すること。一方の主張が自分と相容れない場合、無理して共感するとか衝突するのではなく、それによって自分の中で生じる不愉快さを我慢する、というのが必要になってくるのではないでしょうか。

logmi.jp


これは私の感触ですが、こういった争いは昔より増えてきていると感じています。なぜ増えてきてるかというと、ある程度決まったルートをたどれば成功できた昔と違って、正解が分からない世の中になっているからです。正解が分からない以上、各々の主張は絶対的に合ってるとも間違ってるとも言えず、結果的に衝突が起こってしまうものと考えます。
このような状況だからこそ、ある種の我慢が必要で、もちろん必要な主張はすべきではあるのですが、抑えるところは抑える。そういう意識を持たずに自分の主張ばかりを押し通すのは、良い結果が生まれないのではと感じます。また、これからもっと正解が分からなくなる時代になってきて、その中で今ある自分の知識や感性のみで突き進んでいって、それだけで生き残っていくのは難しいのではないかと私は思います。