2年くらい前ですが、このブログで正義について取り上げましたが、
2年経った今、その状況に変化が見られるかというと、まぁそうでもないなという感じはしています。最近感じるのは、ある種の正義感を持って何かを主張すること自体は、別に悪ではないと思っていて、ただその主張が行き過ぎたりしてしまわないように注意することは、メチャメチャ大事だなと考えています。
少し前に、炎上を頻繁にするYouTuberのゆたぼんが、ブランデー入りアイスを食べて炎上するといったことがありました。もちろん、このことは良くはないことではあって、これダメだよねという主張は正しいでしょう。ただ一方で、自分が未成年の時にアルコールを一切口に入れていなかったかというと、おそらくそうではないという人も多いように感じます。
もちろん、自分のことを棚に上げて正義を主張するべき場面もあると思いますが、その時は余程注意して主張しないと相手に全く響かないし、なんのために正義を主張をしてるのかというのを意識する必要はあります。上記の例で言うと、ゆたぼんからしてみれば、お前だって昔はアルコール口にしてたろって言いたくなる気持ちは分かるし、その時にどうすれば彼に納得感があるような指摘ができるかというのは、主張する側は考える必要あるかなと感じます。
今は個人が、人への批判を発信することが容易な時代です。ただ、それはある種の罰を与える行為となりうると感じます。なので、正義を主張する時は、その罪と罰について、念頭に置く必要があると個人的には考えています。人は他人に対して、悪いことをせず迷惑をかけないような生き方をするのは難しいです。悪いことだってしてしまう時はあります。だから、他人が悪いことをしてしまった時は、その罪は自分は犯したことは無いのかとか、過剰に批判されるまでに重い罪なのかなど、意識する必要はあると感じます。
罪と罰が釣り合わないような批判の仕方は、やはり健全でないと思いますし、悪いことした側もなんで自分だけこんなに批判されるんだという感情にはなるでしょう。法律という最低限のルールはあるにせよ、罪と罰の絶対的な基準はあるわけではないし、時代によっても変わるとは思います。ただ、それに対しては、この批判は釣り合っているかというのを絶えず思考することが、お互いの納得感というか健全な批判への第一歩な気はします。