とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

社会から取り残されたような感覚について書いてみる

今日はいつもと趣向を変えて、少し自分語り的なのを書いてみたいと思います。

ふいに、社会に取り残されたような感覚になるときってないでしょうか。私はこれを感じたことが、人よりも多かったのかなと今振り返ると思います(今でも時々は感じたりします)。なぜ、このようなことを感じてしまうのかというと、要因は自分的には大きく2点あるように考えています。
1点目は集団の中で孤立してるような感覚。時として自分が集団の中にいて全く楽しくなかったり、みんな自分の価値観と合わないなと感じる時期が、今まで何度かあった気がします。もちろん自分はどちらかといえば変わり者だし、価値観なんてそうそう人と合うものでもないので、いたしかたない部分はあるのですが。今思うと心境の変化的な部分が多かったりもするかなと考えていて、今まで普通にいたコミュニティの中で急に孤独感を感じてしまった時もありました(もちろん、初めから合わなそうだなと感じたのもあります)。
この感覚なんなんだろうなと今考えてみると、女性がけっこう言う気がする「生理的に無理」というのに似ているなと感じます。この「生理的に無理」についてどういうものかと言うと、下記の記事にある「自分の影(シャドウ)」を感じさせる時に、起こりやすいものとのことです。

mental-kyoka.com


つまり自分の影が多ければ多いほど、自分の居場所も狭まっていくものかなと考えられます。じゃあ影を減らすにはどうすればいいんだってので、2つ目の要因の話。
2点目の話として、けっこう多くの人が感じたことがあると思うのですが、何やっても楽しくないという感覚です。何やっても楽しくないと誰といても楽しくないし、結果自分の影が増えて社会的に孤立を感じるのかなと私的には考えています。そういう時は、自分が何が楽しいかってのを改めて見直す必要があると感じました。特定の人といることでもよいし、一人で楽しめることでもよいし。もちろん、仕事とかでは楽しいと感じること以外もしなければいけないのですが、そういう時期にそこで無理してがんばるのではなく、適度に自分が楽しいということに寄せていくことを意識する必要があると感じます。興味が持てないことをがんばっても結局成果は出ないですし。

satoru-takeuchi.hatenablog.com


今になって感じるのは、その時楽しくないと感じても後になってやってみたら意外と楽しいと感じる時があることです。時間が経てば心境も環境も周りの人も、変わることがあります。そうやって楽しいと思えることを一つずつ増やすことが、遠回りですが社会から孤立している感覚を取り除く対策なのではないかと私は考えます。