とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

過度な不利益を被る人を減らすことが自由への取り組みなのかもしれない

少し前ですが、G7で仮想通貨の取引に関する規制の話が出ました。

www.metaverse-style.com


これに対して、仮想通貨界隈からは規制を作ることで、自由が奪われるという論調の意見もあったりします。元々、中央集権的な仕組みから自由になるみたいな目的で生まれたようなものなので、まぁこの意見は分からなくはないです。
ただ、仮想通貨はボラティリティが大きい、かつFTXの倒産などもあり、不利益を被った人が一定数いるのも事実です。これを自己責任と言ってしまえばそれまでですが、好き勝手やらせておいて不利益が出た人がいても知らんぷりというのは、あまり健全な状態ではないと個人的には感じます。

仮想通貨以外でも、例えばメルカリにおける転売問題なんかは、同じようなことが言えると思います。転売行為自体が一概に悪とは言えませんが、過度に買い占めをして高額で転売する行為は他の人に迷惑をかける行動になるでしょう。メルカリもそういった行為に対しては、以下の記事にあるような規制をかけてはいます。

automaton-media.com


前にもこのブログ記事で触れましたが個人的な意見としては、自由というものは他者に迷惑をかけたり不利益を与えない範囲で、行える行動と考えています。他者に迷惑をかける時点でそれは自由ではなく、自分勝手な行動ということになると思います。とはいえ、他者に迷惑をかけずに生きていくというのは難しいでしょう。なので、どういう行動が迷惑をかけたり不利益を与えるかというのを頭の隅で意識しないと、無意識に人に不利益を与えるということにつながるかもしれません。
では、どういった行動が人に迷惑をかけたり不利益を与えるのか、これをきちんと定義するのは中々難しいとは思います。以下の記事で触れられている、

p-shirokuma.hatenadiary.com

功利主義や危害原理の理念は変わらなくても、何が迷惑や危害やリスクとみなされ、どのような行動や人物が逸脱に当てはまるのかは大きく変わっている。スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』やノルベルト・エリアス『文明化の過程』などを読む限り、そうした迷惑や危害の定義拡大の系譜はなかなかに長く、日本固有の現象とも思えない。しかし日本はそうした変化が強く起こっている国のひとつで、人口規模を踏まえて考えるなら、こうした変化が世界最高レベルで起こっている国だと言える

という内容は、一理あるかなとは感じます。
とはいえ、どういう行動がいけないか分からないから、法律守っとけばいいじゃんは思考停止だと思います。現在のように変化が激しい状況では、法律が機能するケースが以前より少なくなるでしょうし、そもそも法律はこと細かに行動のルールを定める位置付けではありません。何が不適切な行動かは試行錯誤して個々で判断することになりますし、その判断のためには情報収集等を行う必要はあるとは思います。その判断の積み重ねが、より良い自由な社会を作っていくのではと私は考えています。