とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

自由とは主観的なものかもしれないという話

以前にこのブログで自由について取り上げました。

toaruit.hatenablog.com


自由について色々な考え方があるかもしれませんが、個人的にはミルの「他者の功利を損なわずに自分の幸福を追求する自由」というのが、現実的な考え方かなと感じます。このミルの考え方をベースとする場合、「幸福」と「自由」が大きく関連します。ということは、自分にとっての幸福に関係ないことで、ルールで縛りがかけられてることは不自由であると言えるか、というのはやはり気になる点です。個人的には自分の関心が薄いところで、ルールで縛られてもそれは不自由であるとは言えないと感じます。もちろん、自分に関係があるところでルールで縛られたら、それは不自由と感じてしまう可能性が高いでしょう。

例えば、以下のセグウェイの例。セグウェイは現状、公道での走行は日本では不可です。これはセグウェイを買った人にとっては、なんで走れないんや、と言いたくなるでしょう。ただ、おそらくですが日本の大半の人はセグウェイを持ってないので、多くの人にしてみたらセグウェイで走れる・走れないの問題は、自分の幸福には関係の無いことになるでしょう。

www.webcartop.jp


逆に、一昔前にかなり話題になった、香川県でのゲーム対策条例。おそらくゲームは多くの人が触れたことがあるもので、それが規制されるようなルールはけしからんという考えを持ったこと
でしょう。ただ、完璧に推測ですが、この条例を提案した人はゲームにさほど興味がなく、自分にとっての関心ごとではなかったように感じます。

ja.wikipedia.org


人によって、何が自由・不自由と捉えるのか、主観的で個人差があると私は考えています。だから、一見自分と関係ないじゃんと思えることでも、不自由と感じる場合もあるだろうし、逆もまた然りです。また、人の価値観も多様化している中で、人が何に関心を持っているか、個々で違くなってきてる側面はあるでしょう。だから、一昔前よりもこういったことが、議論になりやすくなっているのかもしれません。

また、留意したいのが、ミルの考え方にもある「他者の功利を損なわず」という点。いくら自分がそれによって便益を得たとしても、他者がそれによって損することになるのであれば、それは規制する必要は出てくるでしょう。これも一昔前の話ですが、漫画村のような例は典型的で、いくら読者が便益を得ても作者が損するという状態は、やはりダメだよねという話にはなります。

www.fuhyo-bengoshicafe.com