とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

分断と知性について

ぼちぼち2022年も12月が近づき、あっという間に終わってしまいそうですね。今年の2月にウクライナとロシアの戦争が始まってそろそろ10ヶ月が経とうとしてますが、今年中には終結しない感じはしますね。なぜ両国の関係が、ここまでこじれてしまったのかとういうと、以前に私のブログで触れた通り、ウクライナの東西の対立が引き金の要因の一つとなっています。

toaruit.hatenablog.com


この対立は、いわゆる分断から始まったものとも言えます。分断について以前に私のブログで触れましたが、価値観等がだんだん多様化している日本でも起こっていることではあり、分断をなくすということは難しいことであるかもしれません。その時は分断が起きてしまうのは、致し方ないことなのかなと思ってましたが、これを放置すると先鋭化する場合もあって、良くない方向にいくのではと最近は感じてます。

toaruit.hatenablog.com


分断を解決するために、価値観が違う他者へ、「寛容性」であったり「尊重」を持つのはもちろん大事なのですが、そんな精神論言われたところでどうすりゃいいんだ、というふうには感じてしまうとは思います。寛容性や尊重が持てるようになる状態になるにはどうすれば良いか、それには「知性」を持つことが重要になってくると私は考えています。知性を持つことはどういう状態かというと、以下の記事で書かれているような、

project.nikkeibp.co.jp

自分の価値観の限界を認識し、あらゆるシステムや秩序は完璧でないという前提に立って物事を見ています。自分の視点を柔軟に転換し、他者の立場や環境の状態など、様々な方向から物事を理解しようとします

というのが、適切かなと個人的には思います。
戦争が起きてしまうことも、知性の欠如が根本的な原因であるように思います。以下の記事にあるような、

logmi.jp

人間っていうのは、放っておいたら戦争する側にかなり寄った生物だということがわかります。しかしながら、ここで、戦争には持ち込ませないぞ、と自己に働きかけるのが「知性」だと思うんですね。

というのは、私もその通りかなと感じます。物事を、暴力や権力で無理やり解決しにいくというのは簡単と言えば簡単なので、そういう方向に行きがちな面はあると思います。ただ、そういった解決が根本的な解決にならないことが多いと考えていて、「分断」の課題は残ったままになるように感じます。どう分断の課題を解決するかというと、やはり知性が必要になってくると私は考えています。
では知性をどう身に付ければ良いのか。個人的な所感ですが、突き詰めると事実を整理するということに行き着くと感じます。感情だけで判断せず、いかに事実を収集して判断を行うかが大事かなと思います。

少し前ですが、行政書士の人がセブンの店内で食事して店員の人に注意される、といったことがありました。その際、店員の注意に対して行政書士の人が「理由を説明しろ」や「セブンイレブンの他店でも言われたことない」といった質問をして、食い下がったそうです。

www.j-cast.com

この件で私が重要と考えてることは、注意されたということではなく、「注意されたという事実にいかに向き合うか」ということです。ルールに違反してしまうことは誰でもありうることだし、注意を受けることもあるでしょう。もちろん、注意をした人が絶対的に正しいというわけではありません。ただ、なぜ注意されたのかというのを思考しないのは、やはり知性的であるとは言えず、自分の行動を正として相手に説明しろと要求するのは、ちょっと違うかなと感じます。
上記のセブンの件であれば「この店舗ではイートインは閉鎖されてる」、「イートイン以外で飲食はNG」という事実をきちんと認識できていれば、店員に食い下がるのはナンセンスな行動なのではという判断もできるでしょう。ただ、この事実を認識していない状態であれば、コンビニの店内で飲食をしても別に問題ないでしょと考えてしまうのは、まぁありうると思っています。

この件に限らず、注意を受けた時はその時点で自分の正当性を主張することをせず、時間をかけて思考することは大事と考えています。思考するということはすなわち、その周辺の事実を情報収集して、積み重ねた事実により、状況を出来るだけ俯瞰的に理解に努める姿勢と思います。事実を積み重ねずして十分な思考は行えないし、その先の知性の獲得へも至れないと私は考えています。