とあるIT屋の独白

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批判されることと信念的なもの

最近はどういう作品を出しても批判が付き物みたいになっていますが、これはSNS時代には致し方ないことかもしれません。少し前の衆議院選挙の番組で、太田光さんの発言が炎上するようなことがありました。もちろん発言自体が不用意な部分はありますが、彼のキャラからは想定されるようなものであり、それを今さら批判するのもなぁという感はあります。
元々、太田さんはテレビでは政治の話をしたがらなかったらしく、こういうシリアスな話をいかにカジュアルに観てもらえるか、というのはやはり試行錯誤みたいです。普通に茶化すだけでは、そりゃサンジャポは長く続かないわけで、そこには表に見えない工夫はあるでしょう。

www.sanspo.com


昔の話になりますが、今は名作の「うる星やつら」も、テレビを放送した当時は批判が多かったそう。今だったらテレビ局がヒヨって打ち切りにしそうですが、当時は作品の力を信じるみたいな信念のようなものが、制作側にあった気はします。今は批判とかコンプライアンスだとかは常に言われる時代ですが、根本の曲げてはいけない部分はやはり守るべきとは感じます。

magmix.jp

 

では、そういう根本の守るべきものとは何かという話ですが、下記の記事にある通り「信じるものは何か」ということに通ずる気がします。自分は何を信じて作品を作り、何を伝えたいのか、そういった哲学が無いものはちょっとシンドイなとは感じます。

markezine.jp


もちろん哲学をきちんと定めたとはいえ、受け手側に意図が伝わらないと、批判のようなことが起きてしまいます。あえて意図をぼかすのも手法の一つではありますが、今の時代はよりシンプルなものが求められていると私は感じます。とにもかくにも、社会とのある種の対話無く作品を作っても意図が伝わらないし、結局何を伝えたかったっけ、何を信じてたんだっけみたいなことにもなりかねないように感じます。表現者はいかにこういったことを熟慮し、作品を仕上げるかといったのが求められるとは思います。