とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

事実を探求するということ

新年あけましておめでとうございます。2021年が始まりましたね。
昨年は色々な情報が飛び交う1年になりました。コロナの状況下でオンラインの活用がグッと近くになったことで、オンライン上で得られる情報も増えた感じがします。SNSなど、メディアから得られる情報以外にも様々な情報が得られる環境になってきました。ただ、得られる情報が多くなってきたからこそ、何が事実かを判断するのがすごく難しくなってきています。今までメディアが報じていたニュースすらも真偽が怪しいものもあって、拠り所とするものが無いような状況になっていると感じます。
このような状況下で何を事実とするかは、各人の判断に委ねられていると言えるでしょう。ただ、事実だと思ってSNSで拡散された情報が、実は事実でないといったことも度々見かけますし、事実を正しく判断するのは非常に難しいと思います。
多くの人が、おそらく「事実」と「真実」をごっちゃにして考えている気がします。下記の気記事にある通り事実とは絶対的に一つで、そこに人の主観は一切入りませんが、真実は事実に対する人の主観が入ってきます。真実をあたかも事実として扱うことで、絶対的に正しいもものであるはずが実は違った、みたいなことも往々としてあるわけです。

el.jibun.atmarkit.co.jp

 

色々な情報が錯綜して不安になる人も多いと思いますが、それは事実を特定できてないというのが大きい気がします。ある事象に対して別のことを言ってる人が複数人いたら、それが事実でない可能性を、まずは疑ったほうが良いかもしれません。本来的には真実であるはずが、あたかも事実であるかのように言う人も多くいるので。

souken.shikigaku.jp

 

さて、ここまでは「事実」の重要性について書いてきましたが、それよりももっと大事と思われることもあったりします。下記の記事にあるように、「事実に対する人々の認識」です。この認識は頭にいれておく必要があって、多くの人々が誤った事実を認識していたら、それが事実になってしまって、本当の事実を一生懸命に話しても受け入れられないといったことが起きてしまいます。

creationconsulting.co.jp

 

本当の事実がきちんと伝わらない社会は、不健全であると考えます。もちろん、事実を知らないほうが良いことも、たくさんあるという考えもあるでしょう。ただ、大人がそのようなやり方をして若い人がどう感じるか。自分に都合が悪いことは歪曲して誤った事実を上塗りする、そんな世の中にしてはいけないと私は考えます。現実的に学歴詐称や経歴詐称のような話はちょくちょく起きていて、努力した者負けみたいな風潮になるのは非常によろしくない。だから、大人の人達こそが事実を正確に伝えるというスタンスを、今一度持たなければいけないと思います。
また、SNSで事実を探求しようとする姿勢を「私刑」と断じるのは少し違うと思っていて、情報を受け取る側もきちんと何が「事実」であるかを見極めることも大事だと感じます。結局はSNSで流れる情報は各自の「真実」であって、そこからどう「事実」を見定めるか。もちろんプライベートなことまで立ち入ることは非常にセンシティブで、線引きはすごく難しいこととは思いますが、ただこれを真剣に考えてやらないと誤った事実が蔓延るような現状が中々変わっていかない気がします。

さて、2021年は少しでも事実が世の中に正確に伝わることを祈っています。また、祈ってるだけじゃなくて、私含めて一人一人が事実をきちんと見定めてそれを伝えていくようなことが必要で、そういった行動が世の中を変えていくように感じています。