とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

税金の役割について考えてみる

コロナ等々での不景気の中で、やっぱり税金を取られるのは、ちょっとイラッときますよね。税金を払いたいという奇特な人もあまりいないかと思いますし。
せっかく税金払ってるんだから、ちゃんと有効活用してほしいって気持ちは、めちゃめちゃわかります。ただ、有効活用してほしいとは言いつつも、そもそも税金ってどういう役割だっけってのを、あまり考えることはないのかなと感じます。というわけで今回は私的に税金の役割的なのを考えてみたので、少し書いてみたいと思います。
まずは財務省が紹介している役割から。基本的には3つの役割が想定されていて、「財源調達」、「所得の再分配」、「経済の安定化」が挙げられています。

www.mof.go.jp

 

財源調達の点に関しては、メディアも散々報道していますし、けっこうイメージがつきやすいと思います。「所得の再分配」、「経済の安定化」については下記の記事に詳しく解説されています。所得の再分配については累進課税によって国民の収入に偏りをなくすこと。経済の安定化は、例えば消費が行き過ぎた際に消費税を導入することで抑制したり、関税をかけることで産業の保護を行うといった例が挙げられています。

www.yfpcrea.com


本来的には、前述の3つの役割を総合的に勘案して税金どうするかを考えるべきと私は思いますが、どうも「財源調達」ばかりがフォーカスされてしまっているように感じます。もちろん、今は不景気ですので、税収が減っている。税収が減ると公共サービスの質が低下していくのでは、と考える人もいるでしょう。この財源という観点について、もう少し深堀りしたいと思います。
税収が減っても日本は通貨発行権を持ってるので、国債という形で便宜上借金にして、公共サービスの質の低下は防ぐことができます。事実ニュース等でさんざん報じられている通り、日本の借金は増えているわけです。円は発行しすぎると円の価値が下がって、ハイパーインフレを引き起こすので、物価の上昇を見ながらではあるのですが。
下記の記事では物価が極端に高騰しない限りは、借金でまかなっても大きな問題は起きない、という意見もあります。

note.com

 

今は日本はデフレ傾向だから、紙幣を多少発行しても問題はないというのは共感できます。ただ、永遠に紙幣を発行すればよいのかというと、私は少し違うかなと思います。
円を発行したとしても貯蓄に回ってしまい、それが使われなければ、税収も増えないし経済も成長しません。今の日本の経済は、まさにこの問題に直面してると思います。
下記の記事にありますが、この現状の対応としては、持ってる人にいかにお金を使ってもらうかというのが大事になってきます。特に内部留保をためている企業に、どう投資してもらうよう誘導するか。例えば、投資にお金を使えばその分の税金は優遇するなどの対策が考えられます。

www.showyou.jp

 

いまの日本の経済のどこに問題があるか、その問題に対して税金というツールをどう使うか。財源が足りないからと言って、消費税を上げるのは対応として適切なのか。今ある問題にフォーカスせず、財源の話ばかりしても一向に経済は良くならないし、税収も増えていかないのではと私は感じます。

プログラマティック広告について考えてみる

Web広告においてその多くは「プログラマティック広告」と呼ばれるものです。昨今、オンラインの広告において様々な課題が指摘されるなかで、このプログラマティック広告が今後どうなるか、少し書いてみたいと思います。
まず、プログラマティック広告の概要について、下記の記事にまとめられています。すごくざっくりだと、ある広告の枠に対して、広告を出したい人が複数いたときに、オークションなどして収益が高いものを表示するような仕組みです。

biz.toyokeizai.net


プログラマティック広告の市場規模については伸びている状況です。ただ、最近取り上げられているように、枠を提供するメディアの品質、アドフラウドの問題、Cookieデータの規制、などなど様々問題はあります。曲がり角にきている時期とは感じます。

ferret-plus.com


プログラマティック広告のキモとなる部分は、下記の記事にある通り「データに基づいて「いつ」「どこで」「誰に」「どんなフォーマットで」広告を見てもらうかを精密にコントロールできる」という点にあります。この考え方自体は間違ってないと思っていて、ただそこに対する広告の質であったり、ユーザに対する配慮が今まで以上に求められているのではと思います。

marketing.itmedia.co.jp

 

下記の記事にある取引の透明性も、プログラマティック広告において重要になってきます。昨今、政府も広告取引の透明性について言及していて、まだまだ日本のオンライン広告において改善余地があるのではと思います。逆に現在の状況を踏まえて、こういった状況にフィットするような配信の仕組みを構築できれば、市場自体は伸びてきているのでまだまだ参入できる余地はあるのかなとは感じます。

digiday.jp

 

社会から取り残されたような感覚について書いてみる

今日はいつもと趣向を変えて、少し自分語り的なのを書いてみたいと思います。

ふいに、社会に取り残されたような感覚になるときってないでしょうか。私はこれを感じたことが、人よりも多かったのかなと今振り返ると思います(今でも時々は感じたりします)。なぜ、このようなことを感じてしまうのかというと、要因は自分的には大きく2点あるように考えています。
1点目は集団の中で孤立してるような感覚。時として自分が集団の中にいて全く楽しくなかったり、みんな自分の価値観と合わないなと感じる時期が、今まで何度かあった気がします。もちろん自分はどちらかといえば変わり者だし、価値観なんてそうそう人と合うものでもないので、いたしかたない部分はあるのですが。今思うと心境の変化的な部分が多かったりもするかなと考えていて、今まで普通にいたコミュニティの中で急に孤独感を感じてしまった時もありました(もちろん、初めから合わなそうだなと感じたのもあります)。
この感覚なんなんだろうなと今考えてみると、女性がけっこう言う気がする「生理的に無理」というのに似ているなと感じます。この「生理的に無理」についてどういうものかと言うと、下記の記事にある「自分の影(シャドウ)」を感じさせる時に、起こりやすいものとのことです。

mental-kyoka.com


つまり自分の影が多ければ多いほど、自分の居場所も狭まっていくものかなと考えられます。じゃあ影を減らすにはどうすればいいんだってので、2つ目の要因の話。
2点目の話として、けっこう多くの人が感じたことがあると思うのですが、何やっても楽しくないという感覚です。何やっても楽しくないと誰といても楽しくないし、結果自分の影が増えて社会的に孤立を感じるのかなと私的には考えています。そういう時は、自分が何が楽しいかってのを改めて見直す必要があると感じました。特定の人といることでもよいし、一人で楽しめることでもよいし。もちろん、仕事とかでは楽しいと感じること以外もしなければいけないのですが、そういう時期にそこで無理してがんばるのではなく、適度に自分が楽しいということに寄せていくことを意識する必要があると感じます。興味が持てないことをがんばっても結局成果は出ないですし。

satoru-takeuchi.hatenablog.com


今になって感じるのは、その時楽しくないと感じても後になってやってみたら意外と楽しいと感じる時があることです。時間が経てば心境も環境も周りの人も、変わることがあります。そうやって楽しいと思えることを一つずつ増やすことが、遠回りですが社会から孤立している感覚を取り除く対策なのではないかと私は考えます。

ユーザヒアリングについて考えてみる

自分が開発にたずさわったシステムであったりサイトについて、ユーザの反応がやはり気になるところではあります。普通に率直な感想であったり、細かい機能や見た目の部分も聞きたくなるかなと思います。ただ、やみくもに聞くだと自己満足になってしまうので、どういう点に気を付けてヒアリング等していけば良いかというのを、今回は少し書いてみたいと思います。
まず、ユーザにどういう質問をするのかという点ですが、これが良いというものはあまり無い感じがして、ケースバイケースな気はします。ただ、下記の記事にある通りディテイル部分の質問だけでなく、ちょっと広めの質問もおりまぜつつ行った方がベターかなと。また、質問内容の良し悪しはその内容を解決した時に分かる、というのもその通りかなと私も思います。後で見返すときに漏れなく整理することも大事ですね。

webtan.impress.co.jp

 

言葉でのコミュニケーションも大事ですが、実際にユーザが操作しているところを見るのも大事だと思います。作り手の想定しない操作をユーザがすることとか、便利な機能を作ってあるのにそれを使ってないとか、意外とあるわけです。観察するなかで、色々とユーザに聞きたい質問や、どういう意図でそういった操作したか気になる点も出てくるかなと感じます。

thinkit.co.jp

管理と見積もりのプロセスを整備すればプロジェクトは成功するのか

以前に本ブログでマネジメントについて取り上げましたが、

toaruit.hatenablog.com

今回はユナイテッドアローズ(UA)の事例を元に、もう少し深堀っていきたいなと思います。
UAは昨年、zozo関連会社に委託していたECを自社運用するという方針にしました。ただ、自社運用と言いつつも自社でエンジニアがいたわけではなく、開発は外部に委託したようです。その結果うまくプロジェクトが回らず、遅延等々が発生したとのこと。

netshop.impress.co.jp


UAは原因を、見積もりであったり、管理プロセスの甘さであったり、不十分なベンダーコントロールと考えてるようですが、私の思うところは少し違います。もちろん、そういった点も重要ですが、ECをコアと位置付けているにもかかわらず、そこに対する投資が出来ていない点が一番大きな問題と考えます。特に重要なのはエンジニアを自社で確保するという点です。
以前の私のブログ記事ではマネジメントを行う上で、実行的側面の重要性をあげました。実行的側面を強化する上で、大事なのは現場のエンジニアです。もちろん、全部が全部を正社員で開発する必要はないと思うし、リソースが足りなければ委託を利用することも全然ありと思います。ただ、コアとなる技術であったり業務知識(ドメイン)は内部に残すべきと私は考えます。
また、実行主体のエンジニアが現場にいるだけで、ベンダーの品質や見積りもりが想定外、などの不測の事態が起こるときの対応もかなり良くなるのではと感じます。プロジェクト初期の状況では多くの不確実性があり、正確な見積もりはかなり困難でしょう。不確実性の全てをPMが解決してくれるわけではありません、エンジニアはその不確実性を一つ一つ確実な方向に持っていかなくてはいけません。下記の記事にある「不確実性の闇を祓う」作業は、ITをコアとしたいなら外部ベンダー任せにすべきではないと思います。この問題意識はエンジニアが持つべきものであって、プロジェクトの肝となる部分と感じます。だからエンジニアは自社で確保しておくべきと私は考えます。

blog.3qe.us

電子契約の仕組み

コロナの影響もあってか、今年に入ってから電子契約がメッチャ話題になってます。電子契約とはオンライン上で契約できる仕組み、と言ってしまえばそれまでなんですが、もうすこし細かいところふくめ今回は少し書いてみたいと思います。
まず概要などについて、下記の記事にまとめられています。基本的に使われる技術としては基本情報技術者試験などでよく見られる、公開鍵暗号方式です。自分が持ってる秘密鍵で暗号化して、受信者が復号鍵で復号が可能であることから、送信者の本人証明となるものになります。

www.cloudsign.jp


もう少し詳しい流れが、下記の記事にまとめられています。電子契約を行う際は、送信者がファイルに電子署名を付与した上で秘密鍵で暗号化します。その際に「電子認証事業者」と呼ばれる業者が、その署名が問題ないことを証明することで、信頼性を担保しています。そして、受信者は複合のための公開鍵と証明書を受け取り、複合と証明の妥当性が担保されれば送信者が送った文書は妥当であると判断ができます。

keiyaku-hikaku.info

 

法律的には「電子署名法」に、ここらへんの決まりが書かれています。
「本人だけが行うことが出来る方法で電子署名が行われていれば、その電子文書は真正に成立したものと推定する」とみなすようです。

paperless-gate.com


法律的に定められている仕組みは上記のような内容ですが、ブロックチェーンの利用も検討されていたりします。事例等は下記の記事にありますが、「電子署名された契約書のハッシュ値ブロックチェーンに書き込む」ことで改ざん対策を強化しているといったものがあります。複数のプロトコルが出ている状態で、まだまだデファクトがこれといったものが出ていない状況ですねぇ。

baasinfo.net

 

がんばることと追いつめられること

少し前ですが安倍総理が体調が話題になった時、全然がんばってないのに休むのかとか、すごくがんばってるから休ませてあげてほしいとか、色々な意見があったと思います。今現在はけっこう雰囲気が変わってきましたが、やはり日本には「がんばる」という風潮がまだまだあると思います。もちろん、がんばること自体は全然良いことですし、がんばらない人とがんばってる人どちらを評価しますか、と言われればそりゃあがんばってる人を評価したくなる気持ちも分かります。ただ、この「がんばり」一歩間違えればあらぬ方向にいってしまうと感じていて、今日はそこら辺について書いてみたいと思います。
日本は戦時中、追い込みに追い込まれて、特攻隊というやってはいけない手段を取りました。もちろん、実際に特攻した人たちの勇気は称賛に値します。ただ、これは「がんばる」ことが正当化されることの事例だと私は考えていて、本来的にはとってはいけない手段を「がんばり」によって称賛されるような話になってしまったのではないかなと感じます。

tenjikudo.com


現代の事例に置き換えると、数年前にニュースになった東芝の粉飾事件が挙げられます。これも構図としては特攻隊と同じと私は考えていて、経営陣の無理な目標を達成するために、社員は粉飾に手を出してしまいました。この粉飾を「がんばり」とするような雰囲気が組織をダメにしていったし、その後に怒涛の事業売却が行われたことからも、東芝が間違った方向にいってしまっていたと言えるでしょう。

biz-journal.jp


下記の記事にある通り「がんばり」とは、とどのつまりが主観的なものに過ぎず、いかに自分であったりその組織内で「がんばり」を評価したとしても、第三者にとっては理解できないといったことが往々にしてあるわけです。その主観的な観点による指示で人生をぐちゃぐちゃにされてはたまったものではないし、そろそろこの思考から抜け出さねばいけないかなと感じます。それは指示を出す側もそうだし、受ける側もそれが妥当であるか吟味すべきと考えます。

www.huffingtonpost.jp


 また、「がんばる」時というのは大抵ものごとが上手くいってない時です。上手くいかない時はどんなに頑張っても成果が出ないもので、結局成果が出ないもんだから、頑張ってる自分を評価するしかないというふうに追い込まれていくのかなと感じます。もちろん、いざという時はこういう「がんばり」は必要なのですが、その時はいつも以上に冷静に現状分析をして対応内容を慎重に考えることが大事と思います。

jp.techcrunch.com


また、以前に本ブログで取り上げましたが、成果とは結果とプロセスで評価すべきであると考えています。

toaruit.hatenablog.com

 

「がんばり」を発揮すべき前に、まずはこのプロセスが妥当であるか評価すべきと考えます。プロセスがザルなら、結果がついてくる可能性は低くなるでしょう。がんばった・がんばってないという精神論のみに終始するのではなく、妥当なプロセスが踏んだかという検証が次のステップに向けて、まずは必要なのではないでしょうか。