とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

何も考えず失敗してもいいと言うのは悪手と感じる

近頃は「失敗してもいい」とか「失敗をたくさんするのは経験」のような主張をちらほら見かけます。もちろん物事において絶対的な成功が保証保証されてることなんか少ないだろうし、失敗すること自体も珍しいことではないです。しかし、だからと言って失敗してもいいとか言うのは、個人的にはやはり違和感を感じてしまいます。以下の記事にある通り、そのような声かけが必ずしもポジティブには働かない、ということもあるとは感じます。

president.jp


そもそも失敗は、成功に比べて再現性が高いものと私は考えています。仮にその再現性について認識していながら、失敗してもいいと言うなら、それは極論悪意があると受け取られるように感じます。そして、再現性のある失敗を繰り返したところで、あまり有意義な経験にはならないように私は思います。
一昔前において失敗を許容しないような雰囲気があったのは、ある程度再現性のあるものが想定できた面があったからかなと感じます。失敗すると分かっているようなことをやるのは、やはり非効率ではあります。とはいえ現代において不確実性が高まっている状況では、予期せぬことが起きて想定していなかった要因で失敗というケースもあるでしょう。

このような状況で大事なのは、失敗を許容しないわけでもなく失敗してもいいと言うわけでもなく、その失敗がどのような性質なものであるか現状分析をすることだと私は考えています。また、失敗を極力減らすために、認識している再現性についてはあらかじめ伝えておき、いかに無駄な失敗を減らしてその経験を有意義にするかは大事と思います。