とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

がんばることと追いつめられること

少し前ですが安倍総理が体調が話題になった時、全然がんばってないのに休むのかとか、すごくがんばってるから休ませてあげてほしいとか、色々な意見があったと思います。今現在はけっこう雰囲気が変わってきましたが、やはり日本には「がんばる」という風潮がまだまだあると思います。もちろん、がんばること自体は全然良いことですし、がんばらない人とがんばってる人どちらを評価しますか、と言われればそりゃあがんばってる人を評価したくなる気持ちも分かります。ただ、この「がんばり」一歩間違えればあらぬ方向にいってしまうと感じていて、今日はそこら辺について書いてみたいと思います。
日本は戦時中、追い込みに追い込まれて、特攻隊というやってはいけない手段を取りました。もちろん、実際に特攻した人たちの勇気は称賛に値します。ただ、これは「がんばる」ことが正当化されることの事例だと私は考えていて、本来的にはとってはいけない手段を「がんばり」によって称賛されるような話になってしまったのではないかなと感じます。

tenjikudo.com


現代の事例に置き換えると、数年前にニュースになった東芝の粉飾事件が挙げられます。これも構図としては特攻隊と同じと私は考えていて、経営陣の無理な目標を達成するために、社員は粉飾に手を出してしまいました。この粉飾を「がんばり」とするような雰囲気が組織をダメにしていったし、その後に怒涛の事業売却が行われたことからも、東芝が間違った方向にいってしまっていたと言えるでしょう。

biz-journal.jp


下記の記事にある通り「がんばり」とは、とどのつまりが主観的なものに過ぎず、いかに自分であったりその組織内で「がんばり」を評価したとしても、第三者にとっては理解できないといったことが往々にしてあるわけです。その主観的な観点による指示で人生をぐちゃぐちゃにされてはたまったものではないし、そろそろこの思考から抜け出さねばいけないかなと感じます。それは指示を出す側もそうだし、受ける側もそれが妥当であるか吟味すべきと考えます。

www.huffingtonpost.jp


 また、「がんばる」時というのは大抵ものごとが上手くいってない時です。上手くいかない時はどんなに頑張っても成果が出ないもので、結局成果が出ないもんだから、頑張ってる自分を評価するしかないというふうに追い込まれていくのかなと感じます。もちろん、いざという時はこういう「がんばり」は必要なのですが、その時はいつも以上に冷静に現状分析をして対応内容を慎重に考えることが大事と思います。

jp.techcrunch.com


また、以前に本ブログで取り上げましたが、成果とは結果とプロセスで評価すべきであると考えています。

toaruit.hatenablog.com

 

「がんばり」を発揮すべき前に、まずはこのプロセスが妥当であるか評価すべきと考えます。プロセスがザルなら、結果がついてくる可能性は低くなるでしょう。がんばった・がんばってないという精神論のみに終始するのではなく、妥当なプロセスが踏んだかという検証が次のステップに向けて、まずは必要なのではないでしょうか。