とあるIT屋の独白

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疑わしきは罰せずの精神について考えてみる

少し前ですが、タレントのりゅうちぇるさんの死去の際に、誹謗中傷はすべて逮捕しろと言った政治家が少し話題になりました。

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もちろん誹謗中傷についてはいけないことだし、何かしら対策が必要とは思いますが、政治家が「逮捕すべき」と主張したのは少し驚きました。政治に関わる以上は法の考え方について、きちんと押さえるべきと思いますし、そういった考慮なく発信するのはやはりよろしくないと思います。というわけで今回は、主に刑法に焦点を当てて、法の考え方的なところで個人的に感じてることを、少し書いてみたいと思います。

まず、刑法での裁判で大前提としてよく言われるのは、以下の記事にある「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」ということです。これは、真犯人を逃がすよりも、無実の人を犯人と仕立て上げてはいけないということに、重きを置いた考え方です。

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なぜ、このような大前提となっているかというと、中世の歴史であったいわゆる「魔女狩り」の教訓が活かされているからです。つまり「疑わしい」というだけで罰してしまうと魔女裁判のようになり、言いがかりを言ったもん勝ちになってしまうような、秩序が失われる状態になってしまいます。なので「疑わしきは被告人の利益に」なることが、刑法で裁く上では非常に重要になってくると私は考えています。

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で、最初の誹謗中傷の話になりますが、何をもって罰するレベルの行為とするか、かなり主観的になってしまう気はします。ので、誹謗中傷らしきものをすべて逮捕するというのは、「疑わしきは被告人の利益に」の精神からすると、対応としてはやはり違うのかなと感じます。とはいえ、誹謗中傷が社会的な問題になってきていて、何かしら対応が必要という意見は私もその通りと思います。

個人的に挙げられる対応として、誹謗中傷が「疑わしき」となっている状態であれば、それを伝えるというのが、まず最初なのかなと思います。そこまで悪意なく乱暴な言葉を使っている人もいるでしょうし、その言葉を使うのは罰せられる可能性があることを、認識してもらう必要があると考えています。で、伝えるのは当事者ではやはり主観が入るので、その点で公共の機関等の第三者で確認して伝達するというような対応が、望ましいように思います。疑いがあればすぐ逮捕ではなく、逮捕の前段に出来る対応はまだまだあるように感じます。