とあるIT屋の独白

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いじめの問題について少し考察してみる

少し前ですが、新潟で中学生が自殺したという事件がありました。おそらく原因はいじめだろうと思われます。確たる証拠があるわけではないようですが。
ただ、証拠が無いからいじめと自殺は因果関係が無いと結論付けるのは、すごく簡単なことです。

newsdig.tbs.co.jp


個人的にはこれは思考停止だと思うし、大人がこういう思考停止的なことをしてしまうのは、非常に危険と考えています。証拠が無いからいじめと自殺は関係無いというのはある種の決めつけであって、本来的には集められる情報で色々な可能性を推測しないと、実体には近付けないと感じます。もちろん裁判ではないので、加害者と思われる人に罰を与える目的ではなく、こういう可能性も考えられるから今後こういう対処も必要だみたいな、再発防止のためにどのような対応が考えられるかは、思考しないといけないと感じます。
こういった決めつけるような行為は、教育にも悪影響を与えると私は思います。少し極端ではありますが、下記の記事にあるような例えば「男なら運動が好きなはず」という決めつけが、子供のメンタルや行動に影響をおよぼすことはありうるでしょう。

beauty.oricon.co.jp


少し話は変わりますが、どのような状態の時に、人が仲が悪いといえると考えられるのでしょうか。もちろん、人によって意見は違うとは思いますが、個人的には下記の記事にある、「判断基準をすり合わせられないこと」が要因として大きなものであると考えてます。

anatanoa.blogspot.com


判断基準をすり合わせられないというのは、コミュニケーションが成立しないということに等しいと思います。子供だと、この成立しないことがストレスで、いじめにエスカレートしてしまうことは往々にしてありそうです。
とはいえ、人によって考え方やバックグラウンド等もちろん違うので、判断基準をすり合わせられないことなんて全然ありうることでしょう。いじめをゼロにするというのは、私はあまり現実的ではない気はしています。だから、いざこのような状況になってしまった時のために、下記の記事にあるように、大人が逃げ場を用意してあげることは、極めて大事なのではと考えています。

rebirthink.jp


どこかのYouTuberが言うような、学校に行かなくても良いというわけではありません。基本的には行くべきだと思うけど、仲の悪さが解消せず、いじめに発展してしまうレベルまで行き着いてしまったら、学校に行くより大事なものを失うリスクがあるということです。
大人も子供も「こうあるべきでなければいけない」という二元論的な思考から、時には少し離れて考えることは大事と思います。あるべきと今の状況を整理して、じゃあ取りうる選択として現状何がベターなのか、これを考える姿勢が教育において大事な気はしています。