とあるIT屋の独白

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何を選択したかは最重要でなくなっていくのかもしれない

ご存知の方も多いと思いますが、back numberに「水平線」という歌がありまして、コロナの状況でインターハイが中止になった時に作られた楽曲になります。若者を励ます歌なのかなと思いきや、「水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ちて」という歌詞にもある通り、ちょっとネガティブな要素も入ってる楽曲になります。

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私は、けっこう色々な場を転々としていった人生を今のところ送っていて、まぁ希望が崩れ落ちていった経験も幾度となくあるわけです。とはいえ節目節目では、それなりに考えて選択をしたつもりなので、選択した内容自体に大きな後悔はないです。

もちろん、どういう選択を行うかが重要であることは、言うまでもありません。一方で、その場においてきちんと有意義な時間を過ごせたかも、重要になってくるのではと感じます。特に今の時代は環境の変化が激しいので、昔のようにいい大学やいい会社に入ったら、それで逃げ切れるというわけでもないと思っています。
自分の選択に満足して、選択後の時間を有意義に過ごせなかったら、それはやはり幸せと言えない気はします。逆にその時点で満足できない選択であっても、そこで過ごした時間が有意義であればそれは成功だと思います。以下の記事であるような、

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夢がひとつ叶わなかっただけで自分の人生は失敗だと決めつけ、勝手に不幸に落ちていた。というより、不幸を言い訳にして、これからの人生を怠けたいだけだったのかもしれない。

という考えは、今だとなんとなく共感できます。最近思うことなのですが、何を選択したかということは、若い頃はかなり価値があるように感じられたのですが、歳をとっていくとだんだんとその価値が薄まっていくように感じられます。逆に、そこでどのようなことを為して今何が残っているのかというのは、若い頃よりも考えるようになってきているかなと思います。

私自身のことを振り返ってみると、その時点で取った選択自体はそこまで悪くなかったかなと思いつつ、その場で有意義に過ごせたかと言われるとあまり自信はないです。私の場合は特に、学生時代をあまり有意義に過ごせなかった点は、ちょっと後悔を感じています。やはり、若い時にしか出来ないことみたいなものはある気はしています。
若い頃にどう過ごしたかというのは、その後の人生における拠りどころ的なものになりうるでしょう。自分がどういう時に有意義に感じたのか、それはその後の人生における選択や行動にも影響を与えると考えています。だから、若く時間がある時にその感覚を掴むことは重要であり、歳をとった時に「いつしか海に流れ着いて 光ってそれを見る」ことが出来るのかなと感じます。