とあるIT屋の独白

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学校に行かなくてよいという価値観とカイゼンの精神の対立

少し前から学校へ行かなくてよい、と主張するYouTuberが世間をにぎわせてますね。もちろん、心身をすり減らしてまで行く必要はないと私も思いますし、諸々の事情で学校へ行けなくなった人の受け皿は必要とは思います。ただ、学校は行かなくてよいものかと言われると、私的にはNOです。今回は少し、私の考えを書いてみたいと思います。

なぜ学校は行かなくてよいという意見に反対なのか、それは毎日こつこつと通うということは非常に大事と私は考えてるからです。毎日こつこつと何か物事を行うのは、将来重要な資産になると考えてます。それを学校なんか通わなくてよいと発信するのは、毎日通ってる人に対して失礼なことと感じます。
では毎日通わなくてもよい、学校なんか行かなくて自由にしてよい、となったらどうなるでしょうか。何か問題や苦しいことがあったら、逃げてもよいということにつながって、最終的には思考停止につながると私は考えています。もちろん、ほんとに苦しいときは逃げるべきなんですが、ただ逃げるにもタイミングが大事です。ちょっとのことで逃げると、物事の本当に大事なことを見失うと私は思います。そもそも逃げる目的は、自分が危機に陥るリスクを回避することであると私は考えています。何がリスクか判断出来ない人が、ただ逃げることを覚えるのは思考停止でしかないのではないでしょうか。

一方で今問題だらけの学校に行ってもしょうがないのではないか、という意見もあると思います。たしかに、学校教育は問題だらけだと私も感じますし、そこに価値があるかと言われると自信を持ってYESとは言えません。ただ、私は思うのですが、問題があればそれは放置せず解決しなければいけないし、そこから逃げることは将来につながるかというと、そうは思いません。大人の責任はもちろん大きいですが、何より学校は子供が主役なので、きちんと大人と子供で問題解決できる枠組みが必要と感じます。
日本は下記の記事にあるような「カイゼン」の取り組みが、ここまで成長してきた一つの要因として挙げられます。カイゼンの第一歩目は問題の把握です。何よりまずは問題意識を持つのが大事と考えています。

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今問題がある学校という基盤を「行かなくてよい」と言って捨ててしまうのか、それとも問題と向き合って良くしていくのか。私だったら後者の道を選びたいと感じます。多くの若者がまだ学校に毎日通ってますし、もちろん彼らも学校には何かしら問題があると思ってるでしょう。だから、その問題意識を何とかポジティブな方向に向かせなきゃいけなくて、やはりそれは大人の役割になるのかなと私は思います。