とあるIT屋の独白

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家庭教育と学校教育について

今年に入って、回転寿司・カラオケ・牛丼屋やらで、迷惑行為をした人がいてニュースになってますね。こういう人が出てくる以上は、罰則を厳しくしたり監視カメラをつけるなどの対応が必要なのは分かります。それは企業として取れる抑止策であって、時間がたてばまた同じのが出てくるかなと個人的には感じます。
こういった迷惑行為が起きる背景としては、SNSのインプレッション稼ぎや、迷惑行為かある種のコンテンツになってる面などが挙げられます。ただ、私的には潜在的にあった教育の課題が表面化したのだと考えていて、今回は教育、特に家庭教育と学校教育について、少し書いてみたいと思います。

まず、家庭教育の位置付けについて、以下の記事が参考になります。大事な部分としては、

www.blog.crn.or.jp

教育基本法に「家庭教育」が独立規定として新設される(2006年改正)

この規定では、以下のように、保護者が子どもの教育について第一義的責任を有すること、及び、国や地方公共団体が「家庭教育支援」に努めるべきこととされている

の部分です。
つまり教育について、あくまで保護者が一義的に責任を持つものであり、家庭教育の重要性について明文化されたということになります。もちろん家庭教育が重要であることは言うまでもないですが、自治体が教育についてどう関わるべきかというのは、これだと少し曖昧に見えたりはします。
実際に家庭教育が明文化された後に、この規定通りに教育がなされているかというと、少し疑問には感じます。以下は少し前の広島県での答申ですが、

www.pref.hiroshima.lg.jp

様々な原因が輻輳する中で,家庭の教育力の低下が指摘されており

という傾向は、他の県でもあることかなとは感じます。もちろん家庭からしてみたら、いきなり家庭教育を充実させろと言われても困るし、そこに対して成果が出せないというのも分かります。では学校等の教育機関に任せればよいかというと、以下の記事にあるような、
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/960701k.htm

むしろ家庭や地域社会で担った方がよりよい効果が得られるものを学校が担っている現状

という点もあり、一概には言えないものもあります。とはいえ学校と家庭でどのように役割分担すべきか、不明確な部分はあるでしょう。なので家庭教育力が低下しているという問題に対して、どういうアプローチで向き合うべきかは難しいトピックではあります。
以下の記事にあるような硬直した校則のように、学校に柔軟性があまりないと、解決が難しい課題であるような気はします。家庭ごとに抱えてる課題も違うだろうし、紋切り型の対応で解決できる問題でもないでしょう。

www.kk-bestsellers.com


では、学校としてどういうスタンスで課題に臨めば良いかというと、以下の記事にあるように、

logmi.jp

そういった対立にありのままに向き合う訓練が学校の中には足りないと思うんです。だから、対話をして物事の考え方が違うと、すぐ感情の対立に直結する

という対立をきちんと解決するアプローチが、重要かなと個人的には考えています。
多様性が広がれば広がるほど、対立することも増えていくかなと思います。ある人が当たり前だと感じている事が、ある人にとってはいけない事となることもあり得るわけです。その対立について、日本は「団結」や「共感」のような言葉で、いわばごまかしていたようにも感じます。学校が全て正しいわけでもないし、家庭で行われていることも全て正しいわけではない、双方が絶対的に正しくないと認識した上で、何が最善かを模索しなければなりません。

昨今話題になるような、学校が正しくないから学校に行く必要がないというアプローチは不適切だと思っていて、正しくない事に対してどう向き合うかを真剣に考えないと、教育の発展はないと考えています。行き過ぎた対立回避は、社会的に迷惑な事に対する感覚を鈍らせるように思います。迷惑行為をする人は罪の意識が無く面白半分でやってしまい、単純に共感が得られると思ってやってしまうように見えます。だから、教育の現場では対立についての認識をきちんと持つ必要があって、子供に教えるだけでなく大人達自身が対立に向き合う姿勢をどう持つかが、極めて重要と私は思います。