とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

表現の自由とプラットフォーム

自由とは何かということについて以前に本ブログで取り上げましたが、
https://toaruit.hatenablog.com/entry/2017/10/21/202321
今回は表現という観点でこの自由について取り上げてみたいと思います。
言うまでもないことですが、個人や法人が「表現」を行うことについて「自由」が保証されているのは素晴らしいことだし、どこの国とは言わないですが、規制されている国に比べると私は日本の制度のほうが断然好きです。ただ、SNS等でこれだけ情報発信が容易な世の中となっている状況で、自由と自分勝手を混同している人がいて、誤った情報や人をディスるような発信をするようなケースが跡を立ちません。
発信するのが自由である以上は、基本的に発信内容に責任を持たなければいけないし、責任を取れないようなことを行うのは、やはりそれは自分勝手と位置付けられると思います。それは個人の場合もそうですが、マスメディアであっても同様で、無責任な内容は規制をせざるを得ないと私は感じます。

【言論の責任】
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=34669?site=nli

ここまでは発信側について書いてきましたが、SNS等のプラットフォーム側はより微妙な立場に立たされているかもしれません。例えば、下記の記事に書かれているFacebookの問題。Facebookとしてみたら個々人が書く内容についてはあまり干渉したくないというスタンスではあるようですが、周りの環境がそのようなことを許さないような空気になってきています。それはトランプ大統領の発言のように、ある発信によって利害が対立してしまうグループが出てくる場合はどうしたらよいか、中々判断は難しいようには思います。

Facebookの外部監査報告、「取り組みはあまりにも受け身で断片的」と厳しく批判】
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2007/10/news130.html

結局は最終的なよりどころとしては、ミルの自由論にあるような「他者の功利を損なわずに自分の幸福を追求する」自由という線引きになるかなと考えています。ある一方の発言によって他者の功利が損なわれないように、プラットフォーマーも注意を払う必要があるのではと感じます。
下記の記事によると、こういった表現の規制についてはまだ民間の自主努力に委ねられています。個人的には民間に踏ん張ってもらうようには期待していて、なぜなら他者の功利を損なわず、というのが法律で明文化するのが難しいからです。功利を損なう・損なわないの判断も時代によって変化するし、この変化の激しい今どのような基準をおくべきか。プラットフォーマー側の時代を読む流れと判断の基準が、試されているようには思います。

【この先、文化に何が起きる?「表現の自由を守る会」山田太郎さんが語る、コロナ・パンデミック以降の表現規制
https://www.creativevillage.ne.jp/80188