前回ブランドパーパスについて取り上げ、WHYが重要になってきているということを書きました。
https://toaruit.hatenablog.com/entry/2020/08/01/015044
トヨタのなぜなぜ分析に代表されるように、Whyを考えることは大事です。私なんかはエンジニアという職業柄、問題が起きたり予期せぬ要望が上がったりするので、このWhyを考えるのが癖になってたりします。というわけで今回は、なぜWhyが大事なのかということについて書いてみたいと思います。
Whyが大事になっている背景として、下記の記事では先が読みにくい時代背景になってることが挙げられています。環境の変化がそれほど無ければ、Howの方法論で物事を進めればそれなりに上手くいくかもしれません。ただ、変化が激しい現状だとHowを究めてもそのHowが数年後には廃れてしまっている可能性があって、その時に必要なのがWhyの力というわけです。
じゃあなぜ変化が激しい時代にWhyが大事なのか、下記の記事にヒントがあるかなと考えてます。人が物事を判断するとき、もちろんロジック的な要素も大事なのですが、最終的な決定には感情的な要素も関わってきます。先の見えない状況だとロジックだけでは太刀打ちできないので、いかに感情的な要素であるWhyを大事にしていくのが大事かなと私は思います。なぜ売上が上がらないのか、なぜ人に受け入れられないのか、なぜ今までやってた方法が上手くいかなくなったのか、なぜ自分の良いと思ったことが伝わらないのか。ロジック面と感情面から、色々な角度で目の前で起きている事象を、見つめる必要があると私は思います。
Whyを重要視しようとなると、今の学校教育の批判がまぁ出てきて、学校ではHowばかりでWhyなんか教わらんという意見も出てくると思います。たしかに、学校教育のコンテンツなんてHowばかりだし、今の時代ツールを使えば覚える必要もないという意見はごもっともなんですが、それでも私は学校教育の重要性は高いと考えています。下記の落合陽一さんの言葉にある通り、たしかにコンテンツが将来的に役立つかというのは再考の余地がありますが、トレーニングという観点で教育を無くすということはあり得ないと思っています。
「学校の勉強なんて社会に出たって役に立たない」という人の決定的な問題は,教育が持つコンテンツとトレーニングという2つの要素を認識できていないことだ.コンテンツ(数学や理科など)が社会に出て使わないからといってトレーニング(学習訓練)を行わないで良いはずがない.貧困がループするぞ.
— 落合陽一の言葉 (@ochyai_meigen) 2018年3月2日
ただ、Howが重要視されてしまっている教育方法は変えていく必要があると感じていて、どうやって問題を解くのかということから、なんでそのような結論になるのか、というところに軸足を写すべきと私は考えています。下記の記事にある通り、それには大人が子供に対して結論だけ教えるのではなく「子どもの疑問を大事に抱きしめ、一緒に並走」というのがメチャメチャ大事なのではないかと思っています。
子供達にWhyを根付かせるために、まずは大人が変わらなければいけません。もちろんすぐに変わるのは難しいのですが、今閉塞感ある日本でもがき苦しんでいる世代が、若い人達を少しでも良い方向に導いてあげなければならないと私は思います。その為に、教育の場というのは重要だと思うし教師の行うべきことも変わっていくとは思うけど、大人である我々一人一人が問題意識を持って目の前のことに取り組むのが、変化のきっかけになるのではと感じます。