とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

年の瀬に共感について考えてみる

2019年もそろそろ終わりですね。今年も色々なことがありましたが、自分も接する人や取り組んでいることに変化があって、気づけばあっという間だったと思います。
2019年について個人的に感じたことは、「共感」の重要性が今まで以上に高くなってきてるという点です。代表的な例でいうと宮迫さん・亮さんの謝罪会見で、それまで一方的に批判の的だった彼らが、あの会見で一定程度の大衆の共感を得たことにより、世論の論調もそれまでとは変わった方向に行きました。インターネットやSNSがより身近になったことにより、共感する側も発信がしやすくなってきてるのも影響してると思います。
また、日本はモノやサービスが供給過多な状態が続いていて、選択の基準として共感することも大事になってる気がします。下記の記事であげられているのが飲食店の例ですが、トップの発言や従業員の就業環境に批判が起き、提供してるサービスに概ね問題ないものの、客足が遠のいてしまうといったことも実際に発生しているかなと思います。

【サービスの時代から「共感」の時代へ】
http://www.re-live.com/news/160/

今までの経済は「お金」を中心に回ってきました。私はお金とは信用を可視化したものだと思っていて、言い換えると今までは信用をベースに、色々な取引が行われていました。この絶対的だった信用から、共感へのシフトが少しずつ起きてるかなと感じてます。

【信用が陳腐化し共感の時代がやってくる。あなたは何のために働くか?】
https://www.businessinsider.jp/post-190806

ただ、ある程度の信用は取引等を行うにあたって必要だし、お金の存在がすぐになくなるということもないでしょう。共感が重要視されているとはいえ、共感だけで物事を判断するのは、それはそれで危険だと思います。情報商材やマルチといった類は、共感を前面に押し出してくる傾向にあると感じるので、信用できる相手かどうか性悪説の観点で見極める必要もあると考えてます。
共感は、信用より不確かなものだと私は思っていて、例えば共感されなくても仕事等を積み重ねていくことで、信用は得られると思います。ただ、今後は信用プラスアルファで共感が求められてくるだろうことが想像され、共感が思うように得られないゆえのジレンマが増えていく気がします。現状でも、無理に共感をもとめてしまい、結果がついてこないゆえにツラくなってる人もいるのかなと感じます。

【「共感を求める」からうつ病になる】
http://dessindezyoutatsu.xyz/post-1797

自分が共感されないと感じたら、共感を無理に求めるのではなく、信用を積み重ねていくことに重点を置くのがストレスを減らすことにもつながるかなと思っています。共感が得られなくても仕事はできるし、不確かなものに頼るくらいなら確実なところをちゃんと押さえていくのが、まずは大事なのかなと。
かくいう私もあまり自分の考え的なのが共感されないこともあって、まぁ別に理解されなくてもいいかなと思ってしまうことも多々あります。しかし、これだと中々世界が広がらないのも事実なので、来年こそはここら辺もう少し改善しようかなと考えています。
少し長くなってしまいましたが、みなさん良いお年を。。