とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

現実と虚構とテクノロジー

最近はコンプライアンスが厳しくて、テレビなどのコンテンツが昔と比べて自由に作れないといった話を聞きます。時代の流れと言えばそれまでなんですが、ではなんでこのような変化が起きているのでしょうか。下記の記事では、
「昔のスターはプライベートを絶対に語らなかった。それがSNSが普及して、みんな、自分からプライベートを明かすようになったでしょう? 芸能人といえども、ものすごく近い存在になったことも、スターがいなくなったことと無関係ではないと思います」
といったコメントがあって、SNSやオンラインの浸透が無関係ではないかなと感じます。

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SNSやオンラインが浸透するにつれて、ある種のフィクションと現実との違いがつかなくなってきてるのではと感じます。下記の記事によると「認知機能の低下」と述べられていますが、現実と虚構との境目がテクノロジーの進化によってつかなくなってる部分も否めない感はあります。ので、テレビやアニメなど虚構に含まれるような世界に対する規制が厳しくなっている側面があると思います。
テクノロジーによってある種の作り話が体験できてしまうことで、「そんなの作り話でしょ」が通じなくなってきてるのかなと感じます。

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現実と虚構との境目という観点だと、下記の記事にあるように今後より進化するだろうと思われます。そうすると極論ですが、自分の思いのままの世界が虚構で作れるようになって、虚構の世界で行われてるようなことが現実世界でも行われるリスクのようなものも否定はできない状況と感じます。

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ということで現在、表現の規制について岐路に立たされているタイミングと私は考えています。表現をガチガチに規制することで、現実世界との整合性を担保するというのも一つの手としてはありといえばありかもしれません。ただ、個人的には別の道も模索すべきだと思っていて、それは根底となる倫理観をあらためて見直すということです。
倫理観といっても何ぞやという話なのですが、おそらく一昔前までは職場等の所属する組織における決まり事が、大きなものだったかもしれません。基本的に会社を変わるということがあまりないということもあって、その組織の倫理観がそのまま所属している人の倫理観にもつながってたように思います。ただ、変化の激しい今の時代、会社も潰れるし転職なんて普通だし、そうなるとよりどころとなる組織がなくなる人が多くなっていきます。そんな今だからこそ、下記の記事のような「自律性」が大事になってきて、自分自身で何が正しいかを判断する力が重要になってきます。

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そもそも、こういった倫理観は、組織や人から押し付けられるのではなく自分で考えて導き出すべきという本来の形に戻ったのかもしれません。出光創業者の出光佐三は「道徳は全人類が平和にしあわせに暮らすということであって、それ以外にはない。したがって民族や時代や国によって変わるようなものではない。この意味で、思想も道徳も人類の存するかぎり唯一永久不変である。」と述べていて、最終的には人間が本来大事にすべきようなことに回帰していくのかなと感じます。

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