とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

自己責任について考えてみる

最近はコロナの影響で不景気なニュースばかりですね。特に事業をやっている人は、ほんとツラい状況だと思います。会社員の立場からだと、事業をやってる人達は自己責任でやってるんだから、こういう状況でもリスクがあるのはいたしかたない、という意見もあると思います。ただ、会社員も自身が所属する企業が倒産となってしまったら、それこそ経済的にはしんどくなるわけで、それもその会社を選んだ自身の自己責任といわれればそれまでかもしれません。とどのつまり、人は人生において何かしらの選択をしなければいけなくて、その選択は自身の自己責任において行うということになると思います。
そもそもですが自己責任とはどのような意味で用いられている言葉なのか。自己責任という言葉の考察は、下記の記事で紹介されています。記事によると、元々は金融商品の購入の際の説明責任として購入後に発生するリスクの意味合いで用いられたものみたいなのですが、それがなぜか職業選択や起業することにおいても使われていったそうです。

【自己責任という言葉に踊らされる現代人の哀れ】
https://toyokeizai.net/articles/-/337633

記事でも触れられていますが、責任とは自由があるから責任が発生するのであって、そもそも自由がないのに責任だけある、というのはおかしな状況なわけです。自分ではどうしようもないことが起こることもありうる中で、自己責任と一括りにして思考を放棄するのは如何なものかと私は考えます。さて、このコロナの状況で仕事や事業が行き詰ることは果たして自己責任なのでしょうか。
まず、第一にコロナがここまでヒドい状況になると、前もって予測できた人はほぼいないと思っています。コロナ前とコロナ後で全く前提条件が違う状態で、自身が行った選択に責任が発生するというのはかなり酷だと思います。第二に否応無く営業縮小を余儀なくされている事業もあるわけで、そういった業界に携わっている人は、そもそも自由すら奪われている状況になっているわけです。この状況でこれは自己責任だ、というのもやはり酷かなと思います。
コロナのインパクトによる環境制限が大きいので影響も受ける人が多いのですが、コロナに限らず、個人個人で与えられた環境や制限にぶつかることが往往にしてあると思います。その中で、本来とりたかった選択肢がとれなかったり、そもそも選択肢すらないという状況にある人もいると思います。ので、人はみんなが平等に機会が与えられていないという中で、自己責任という言葉で括るのはやはり乱暴だと感じます。

【自己責任論とは?【貧困との関連性と問題点】】
https://torayoshi.net/post-5023/5023/
また、個人的に感じるのは若者の選択と大人の選択で、その性質も違ってくるように思います。例えば、いい大人が行った選択で失敗するのと、若者が行った選択で失敗するのは、その責任度合いも変わってくる気がします。若者はまだ経験や知識が少ないし、選択で失敗する確率が高い状況におかれています。下記の記事によると失敗は成功よりも再現性が高いので、大人はその失敗を未然に防ぐ義務があるし、たとえ失敗してもリカバリーをしてあげる役目も担っているといえます。

【失敗には再現性がある。だから、成功したければ、失敗に関する本を読め!】
https://tokumoto.jp/2016/04/15689/

下記のロート製薬の社員の方の記事が大人のロールモデルとして、参考になる気がします。失敗するリスクが高い選択を未然に避けられる人材は企業でも重宝されると思うし、そういう人は変えがきかないと感じます。逆に若者に対して失敗リスクを提示できなかったり、変にリスクの高い方に誘導するような大人は、昨今の若い者はと言う前にまずは自身の振る舞いを見直すべきと感じます。

【「新卒から47年間、同じ仕事で失敗ばかり」そんな最年長社員が仕事に飽きないワケ】
https://president.jp/articles/-/35006

今回のコロナについては、ここまでの影響になると多くの人が想定し得なかったことから、自己責任で終わらせるのではなく、事業継続のためにどのような支援が必要か、もっと検討されても良いと思います。会社の倒産を極力減らさなければ、若者の将来の働き先や事業機会が減らされてしまい、今の大人との機会の不平等が起きてしまいます。このコロナでの教訓を得て、今後の若い人にバトンを繋ぐという上でも、今残せるものは残しておくという意識が必要なのではないでしょうか。