とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

日本のITとモノについて考えてみる

日本のソフトウェア産業は海外に比べると遅れをとってると、けっこう前から言われていることではあります。下記の記事にあるとおり、ハードが主流だった時代は日本はまぁまぁ良い位置にいたのに、なぜソフトウェアとなるとダメになるのかというのは、けっこう面白い考察です。そこには、日本人の特性であったりソフトウェア産業の成り立ちだったり、諸々の要因が考えられるのですが、今回はそんなことを書いてみたいと思います。

qiita.com


元々、日本には下記の記事にある通り、「モノには魂が宿る」という考え方があります。例えば、日本刀とか茶碗なんかは分かりやすいですが、職人が手間暇かけて渾身の一作を作るみたいな雰囲気です。ビジネスというよりは、どちらかというと芸術家のほうが雰囲気的には近いと思っていて、いかに良いものを作るかという自己実現的な領域で職人なんかは仕事しているのかなと感じます。

business.nikkei.com

 

そんな文化を持つ日本のソフトウェア開発は下記の記事にある通り、「製造業」に近い特性を持っていると言えます。つまり、高い品質を志向して、そのソフトウェアが完璧に動くといったことが追求されてきています。ただ、アメリカはその発想とは違っていてソフトウェアは「ビジネスの道具」です。なので、決められたものを完璧というよりは、いかにビジネスとして成り立つ形にしていくかという発想なので、そもそもの出発点は違うかなと感じています。

blog.goo.ne.jp


そして、なぜ日本では製造業の考え方がソフトウェア開発の出発点になっているかというと、元々ソフトウェアがハードウェアの付随品としての位置付けだったからというふうに私は感じています。昔はメインフレームという大きなハードウェアがあって、そのハードウェアの上で動くソフトウェアという考え方な気がします。だから、ITベンダーに発注するときユーザ側は「コンピュータ」というハードを買っているのであって、ソフトウェアを買っているという意識が無かったように思います。

gendai.ismedia.jp

 

ただ、それは昔の話であるにもかかわらず、いまだにソフトウェアはハードウェアの付属品としての位置付けで丸っとITベンダーに発注、という考え方から長い間脱せていないと私は考えています。だから、ビジネス環境やエンドユーザの反応に応じてソフトウェアをアップデートし続けるということに遅れて、ソフトウェアビジネスの主導権をアメリカや中国に奪われてしまったと感じます。
しかし、今の段階で日本が巻き返せないのかというと、そうでもないと私は考えています。ビジネスの道具としてのソフトウェアを追求していたアメリカですが、一方で下記の記事にある通り、それはどうなのよという意見も上がってきています。

itnews.org


今後、ソフトウェアの世界でも「本当に良いもの」が求められてくるフェーズにきているのではないでしょうか。もちろんビジネスも大事ですが、それに加えて「完成度の高さ」や「洗練さ」の重要性も上がってくると考えています。だから、アメリカの手法を真似するだけでなく、独自の哲学や文化的要素を取り入れ、より良いソフトウェアを昇華していくような取り組みが大事になってくると思います。ユーザの目が肥えている中で、いかに良いものを出していくかという日本人の強みを活かしたソフトウェア開発の新しい形が、今後の日本が追い求める一つの姿なのではと私は感じます。