とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

AI時代に遠回りについて考えてみる

何か目標など決めて取り組む際、なるべく遠回りはしたくないものです。一直線に進んで成果が出せればOKなのですが、中々うまくいかないということもあるでしょう。かく言う私も中々キャリアや物事があまり思い通りにいかず、遠回りすることが人より多かったかなとは感じます。私はどちらかというと、せっかちな性格なのであまり遠回りはしたくないのですが、人生はまぁ上手くいかないもんだなぁとは感じます。

遠回りするのが良いとは思えないかもですが、以下のイチローさんのコメントを見ると、一概に悪いとも言えないかもしれません。やってみた結果、無駄という結論を出したのか、やらずに無駄と決めつけるのかでは、差があるようには感じます。

gakuen.koka.ac.jp

今やってる事が無駄だと思ってやってるわけじゃないですよ。無駄に僕は飛びついているわけじゃないですけど、後から思うと無駄だったという事はすごく大事なこと。

だから合理的な考え方ってすごく嫌いなんです。

前に書いた記事でも触れましたが、やみくもに新しいことをやってみるというのは、無駄になる確率はかなりあるような気はします。ただ、無駄にも種類があると今は思っていて、以下の記事にある実感の有無です。個人的には実感がある無駄は無駄にならないと思っていて、上手くはいかないけど楽しかったりモチベーションが上がったりするのは悪くないことなのかなと感じます。こういった経験は、次につながりやすいものなのかなと思います。

www.yhmf.jp

実感は必ずしも線形ではありません。上手くいったから楽しい、ではなく、上手くいかなかったけど楽しかったという二律背反がありえる。例えば、子どもが将棋教室に通ってもルールが覚えられず上達しないと、親は違うことをやらせたほうがいいのでは、と思います。でも、本人はすごく楽しがっている。これが実感です。「こうに違いない」という推測は、論理の世界です。

どういう選択をするにせよ、今の時代は正解を選び続けるというのは難しいでしょう。これだけ環境の変化が激しい現代において、どんどん先が見通しにくくなってると思います。なので、自分が選択したものに疑問を感じることは当然でてくるわけです。
ただ、予測できずこういう疑念が生じることが以下の記事にあるように人間らしさであり、遠回りをしてる可能性を感じつつも進んでみることが創造性につながっていくような気もします。

dentsu-ho.com

人間がワクワクするようなアイデアの根本には、やはり「不確かさ」とそれを「信じる力」があると思います。ここに、これからの創造性のヒントがあるのかもしれませんね。今回の対話を通して「信じる」ことだけでなく、「疑う」ことも、企画やアイデアを形にしてゆく際のヒントとしてすごく重要なんじゃないかと気付くことができました。