とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

町へ出ることについて考えてみる

さて、2022年も終わりですね、あっという間です。去年の今頃、何やってたかなと思い返すと、ヨルシカの記事を書いていましたね。

toaruit.hatenablog.com


というわけで、せっかくなので今年も、年の最後はヨルシカについて書きたいなと思います。
今年はヨルシカが「チノカテ」を、8月にリリースしました。この歌は、アンドレ・ジッドの「地の糧」という文学作品を題材にしていて、歌中に出てくる「町へ出よう」という歌詞も、この文学作品から引用されています。

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この歌のMVや歌詞には「白い花」が出てきます。白い花は、以下の記事にある解釈にあるように、死を連想させるものかなと個人的には感じます。

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ヨルシカで死というと、昨年の記事にも書いた通り、椎名もたさんのことかなとは思います。n-bunaさんはやはり、いまだに椎名もたさんの死を非常に後悔していて、なんで気付けなかったんだというのが、この歌でも伝わってくる気はします。
「町へ出よう」という歌詞は、この後悔を振り切って前向きに生きようという解釈もできますが、個人的には少し違う意味も含まれてると考えています。以下の記事で地の糧の紹介がされていますが、

www.shimonoseki-cu.ac.jp

感覚が先に来ない知識は、すべてわたしには不要である

という文があり、だから町へ出るということになります。

じゃあこの感覚ってなんなのかっていうと、個人的には自身の強みや得意なことを、つかむということだと感じました。やっぱり得意なことをやるほうが知識は身に付きやすいし、逆に苦手なところですごく頑張って知識を得ようとしても、活かせない可能性は高いかもしれません。
以下の動画でふれられているように、自分の強みを伸ばすことは自分を誇ることにつながるし、自分を誇ることが他人へ良い影響を与える面もあるでしょう。

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ということで、ヨルシカのチノカテに戻りますが、「町へ出よう」というのはn-bunaさん自身が過去をふっきるという意味合いと同時に、椎名もたさんに「お前すごいところいっぱいあった」というのを伝える意味合いも、あったのではないかと思います。
自分の強みを見つけるのは、簡単ではないこともあるでしょう。見つからずに、ふさぎこんでしまうこともあるかもしれません。だから、感覚をつかむために町へ出るのは意義があるだろうし、逆にこの感覚を失わないために町へ出る必要も、あるのかもしれません。

さぁ、来年こそは町へ出よう、良いお年を!