とあるIT屋の独白

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曖昧性の大事さ

今年2022年、サッカーのワールドカップが行われ、日本選手も頑張ってもらいたいですよね。
4年前の2018年ワールドカップは、直前にハリルホジッチから西野さんに変わって、これどうなるんだろうという不安の中で試合が行われました。しかも西野さんは、なんか玉虫色のようなこと言ってるしと以下の記事に書かれており、指導力どうなんねんという感想を当時受けた人もいるでしょう。

news.yahoo.co.jp


このような指摘もありつつ、蓋をあけてみれば日本はベスト16で強豪のベルギーとあたり惜敗したものの、なかなか健闘した方ではないでしょうか。ハリルホジッチのままであれば、どういう結果になったかは正直わかりません。ただ、上記の記事にある玉虫色のような雰囲気もありつつ、成果を出せたことは大きかったのではないでしょうか。西野さんのやり方がベストだったかは分からないし、メンバーの性格等も当然あるのですが、曖昧であることが必ずしも悪い方向に働かないと、私は感じました。

我々の取り巻くことに関しても、全て白黒が決まっている状況なんてそんなに無いと思っています。何かしら棚上げになってたり、進まない事柄もあるでしょう。とは言え、どこかの国の総理大臣のように「遺憾である」とか「検討する」とか言って、多くのことを曖昧にしてはぐらかすのは、決して良いこととは言えません。良いことでないと分かりつつも、国家レベルの課題のように判断が難しいものである程、すぐに結論が出ないものです。
私はどちらかというとせっかちな性格なので、イライラしたり、早く決めればいいじゃんって言いたくもなる気持ちは、メチャクチャ分かります。一方で、情報の受け手として世の中には曖昧なことがあるというのは、認識しておくべきことと感じます。それをどれくらい許容できるかは、個人差はあるとは思いますが。

www.uhe.ac.jp

 

物事だけでなく人間関係においても、この曖昧性はけっこう大事かなと思います。この人とはこういう関係と断言できる関係よりは、例えば「顔見知り」とか「知り合い」みたいな、なんとなく付き合いがある程度の方が、長く続いているような気はします(個人的な所感ですが)。
深い関係的なのを全然否定するつもりはありません。ただ、深い関係であってもお互いに完全に理解している状態というのはあまり無いと思うので、下記の記事にあるような、ある種の玉虫色になる余地みたいなのは認識すべきかなと思います。

w.grapps.me


さて、今年の2月に起こってしまったロシアとウクライナの戦争、非常に痛ましいと感じています。もちろん、先に仕掛けたロシアが悪いのは言うまでもないですが、なぜこのような事態になるまで悪化したかは、きちんと検証されるべきだと私は思います。戦争は物事に白黒付ける最終手段だと思っていて、白黒付ける前にやるべきことはあったのではないでしょうか。
戦争に至ってしまうまでになった論点はいくつかあると思いますが、相手の言い分を理解したり・敢えてはぐらかしてみたり・結論を少し先送りしてみたり、お互いが最悪の状況を回避する努力は、もう少しできたのではないでしょうか。この戦争を先に仕掛けたロシアが悪いで済ますのは簡単ですが、事態の悪化は昨日今日に始まった話では無いので、もう少し丁寧にプロセスが考察されるべきと私は考えています。

以下の記事で、ひろゆき氏は聞く力はムダと言ってますが、

diamond.jp

誰が言い出したかわからないようなことに全員が聞き分けよく賛同したり、責任者不在でどんどん「いいね! いいね!」で話が進んでいくから、勝てもしない戦争に突き進んだり、儲かるはずもない焼肉屋を始めたりするんですよね。

ようなことを聞く力と指しているなら、私もムダだと感じます。
しかし、本来の聞く力ってそうではないと私は感じます。周りの多くが共感している中でも、反対側の意見なども取り入れ、自分なりの考え方や落とし所を見出していくのが、あるべきなのではないでしょうか。熟慮した結果はたぶん白黒つけるというよりは、双方の間のどこかにあるように私は思います。