とあるIT屋の独白

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正義と中庸について考えてみる

少し前にキンコン西野さんが、もうTwitterはやらないと語っている記事がありました。「Twitter村は「正義」「正解」「正論」の理屈で回っているので、間違った人が許されない」ことが、その理由だそうです。

キンコン西野、バッシングが方向づけた現在「“2ちゃんねる化”したTwitterはもうやらない」】
https://www.oricon.co.jp/special/53137/

「「正義」にはブレーキが搭載されていない」というのは西野さんの上手な表現なのですが、正義を主張している人はそれが絶対に正しいと思っているから、いくら反対意見を言ったところで聞き入れてもらえないことの方が多いと感じます。もちろん自分の意見を主張すること自体は大事なことですが、他の人の意見を聞くということも他方では大事なことと感じています。
これは議論の仕方というものに通じていくと思います。本来、議論するということは勝ち負けを決めるものではなく、より良いアイデアや対応策などを生み出す為に行うべきものと私は考えています。頑に自分の主張を貫き通すのではなく、事実や他の人の意見を参考にしながらより良いものを目指すということができると、Twitterも利用する価値があるツールになってくるのではと感じます。

コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。】
https://blog.tinect.jp/?p=45811

どうしても意見をたたかわせると、自分の主張を貫き通したくなる気持ちは私もわかります(若い頃は私もそんな感じでした・・)。そんな時に大事になってくるのは「中庸」の考え方になります、中庸とはざっくりいうと、かたよりがない状態や中間の状態をさしています。

【中庸】
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%BA%B8-97476

特に政治のトピックとかは顕著だと思いますが、意見が違うグループ(政党)の対立が続くことが、社会にとって有益ということにはならないケースの方が多いです。下記の記事でふれられていますが、勝者の方が大多数になると少数派がものを言えない状況になり、結果として生きづらい社会になる恐れもあります。

【「中庸」の価値を再考する】
http://agora-web.jp/archives/1613687.html

今の日本において、そのようなよろしくない傾向が進んでいる気が個人的にしていて、この雰囲気を変えるには、一人一人が中庸的な考えをもって発言することが大事と考えています。では具体的にどのようなことを心がけるべきか、以下の記事で春名風花さんが、Twitterで意識してることなど参考になると思います。

【現在18歳の元子役ツイッタラーはるかぜちゃん(ω)。 Twitterのバズと炎上を振り返る。】
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2019/019605.html

人と接するときは自分の正義をふりかざすのではなく、まずは色々な可能性を考えてみるということが大事と思います。正義と正義のぶつかり合いは、分かりあうことが出来ないケースが多いので、いかに相手の背景など理解して異なる視点を提示できるかが中庸に向けた一歩目なのかなと感じます。