とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

電機大手4社に関する個人的な雑感(2021年時点)

電機系の業界といえば、日本を代表する会社(日立など)がけっこうあるのですが、ここ10年くらいでその事業内容だったり業績の浮き沈みなどが、かなり激しかったように思います。もちろん、各社良かった時期もあれば悪かった時期もあって、今後良くなる会社もあるだろうし、悪くなる会社もあると思います。
ということで今回は現時点で話題に出ることが多いかつ個人的に気になった、日立・ソニーパナソニック東芝の4社について、独断と偏見的な雑感を書いてみたいと思います。

【日立】
日立はここ数年の電気業界では、勝ち組に位置付けられると思います。覚えている方もいるとは思いますが、日立は10数年前は巨額の赤字を出して、経営危機と言われていました。そこから今に至るまで事業の整理を行ってきて、大きめのグループ会社だった、日立化成や日立マクセル日立工機などなど、多くの会社や事業を売却しています。

gentosha-go.com


今の日立の中核事業は、ITを中心にエネルギーやモビリティなどの事業が挙げられてます。現在の日立のCEOはITのプロダクトLumadaの責任者だった人です。今後もこの方針は継続されていくでしょう。今年に入って海外のITベンダーを買収したことからも、BtoBのIT領域は今後も主軸にはなってくると思います。

enterprisezine.jp

 

ソニー
ソニーはホントに最近になって、業績がすごく良くなりました。その要因が鬼滅に代表されるコンテンツ領域や、プレステに代表されるエンタメ領域です。ソニーといえば元々はスマホやカメラといった、エレクトロニクス領域が主力事業として位置付けていたのですが、そこをコンテンツ・エンタメ領域に軸足を移せたのが大きいかなと思います。
ソニーらしくないと呼ばれる吉田社長が、どこが成長領域かというのをきちんと見定めて判断できたのが功を奏した形ですね。

president.jp


もちろん、こういったコンテンツ事業は始めから上手くいっていたわけではなく、業績が不調の時はこっぴどく叩かれていたわけです。今でこそ、その時の苦労が花開いているわけですが、時が経って成功するものもあるので、経営の評価は難しいですよね。

www.nippon.com
パナソニック
直近の決算では、そこまで大崩れではないものの減収減益でちょっと苦しい感じはあります。パナソニックの主力事業は現状でもいわゆる家電の領域で、そこは創業以来から変わってないスタンスなのかなとは思います。車関連や電池関連といったBtoB事業も行っているのですが、中々独自色が出せてない感があり、少し苦しいのかなとは感じました。

japan.cnet.com


パナソニックは日立やソニーなどと異なり、稼ぎ頭となる事業の育成が出来なかったのが、苦しくなってる要因ではあります。経営陣はその課題を認識はしていて、色々模索はしているものの、すぐに事業は育つわけではないので、もう少し時間はかかるかなとは感じます。

www.jiji.com


東芝
東芝は不正決算騒動がずっと尾をひいてましたが、ここへきてようやく事業再編の目処がたったところという感じですね。直近の決算では、なんとか利益を黒字化しているところまで持ち直しています。

monoist.atmarkit.co.jp


足元では、不正決算騒動もあり主力事業への投資もままならない状況であったとは思いますが、最近では再エネ事業への投資を行っていたりします。この投資がどこまで上手くいくかは未知数ですが。

project.nikkeibp.co.jp


こうやってみると業績が良い会社は、強い事業を1つ持っていて、それに付随して他の事業をやっているという感じはあります。また、日立やソニーもずっと業績が良かった状況というわけでもなく、事業の売却や投資を行って始めて復調したという背景もあるかなとは思います。

ので、パナソニック東芝も今は強みがある主力事業は模索中だと思いますが、適切な投資を行っていけば十分に復調するチャンスはあるかなとは思います。両社も経営陣は危機感を感じているだろうし、こういった緊張感が継続できれば、まだまだ見捨てたもんじゃななとは考えています。

DXとアフターデジタルとOMO

私のブログでも、何度か取り上げているDX。前回はDX2.0を取りあげ、マーケティングとの絡みについて書きました。残念ながら(?)DX2.0については、そこまで浸透してると言えないのですが、このマーケティングとの絡みについては大事な論点と考えてるので、もうすこし深く書いてみたいと思います。

toaruit.hatenablog.com


DXについて触れる前に、現状のデジタルを取り巻く環境について、少し触れたいと思います。コロナの大流行で、仕事やプライベートの過ごし方が、一気にオンラインにシフトしたのは周知の通りだと思います。
世界観としては、いわゆる「アフターデジタル」と呼ばれるものになります。アフターデジタルでは、例えばコミュニケーションだったりショッピングだったりの起点が、オンラインになっていきます。

enterprisezine.jp


人々の行動が変わってきてるなら、提供するサービスや業務プロセスも変わらざるをえないと考えています。個人的にはこの変化に対応することこそがDXだと思います。すでにコロナの状況で人々の行動がオンラインにシフトしているのは多くの人が認識してると思いますが、サービス提供側が対応しきれているかというと、まだまだ不十分なところもあるとは感じます。人々の時間の使い方がオフラインから、オンラインにシフトしてく中で、どうオンライン上で接点を持ってコミュニケーションを取るかというのは、まだまだ掘り下げられる領域かなとは、はんなりと考えています。

markezine.jp


じゃあ人々の行動が今後全てオンラインになるかというと、そうではないと考えています。オンラインの割合が増えていく中で、オフラインの機会をどう活かすかが非常に大事と思います。これは以前このブログで紹介した、OMO(Online Merges with Offline)の考え方ですね。

toaruit.hatenablog.com


DXについても、もちろん設計はオンラインが出発点になるとは思いますが、そこでどうオフラインを活用するのかというのも大事な観点と思います。最終的には下記の記事にあるような、人々の行動パターンの変化に合わせた体験設計が大事であって、DXとOMOとUXは密接に関連していくと考えています。

だからDXだけ取り出して議論するのはけっこう無理筋で、まずは体験としてのUXがあって、その後にオンラインとオフラインをどう位置付けるかというOMOがあって、最後にじゃあデジタルをどう活用するかというDXが出てくるような流れにならないと、良いサービスは出来ていかないかなと感じます。

wisdom.nec.com

従業員が意識すべき経営者視点とは

少し前に、Quoraで下記のような「経営者意識」の記事を見かけました。たしかに改めてこれって何だろうと感じて、テーマとして面白そうだったので、今回は少しこの経営者視点について書いてみたいと思います

jp.quora.com

 

Quoraの回答を見ると、経営者意識とか言う経営者は怠慢だという意見があり、まぁ別に間違っちゃいないんですが。とはいえ、怠慢で終わらせるのもあれなので、もう少しこの経営者意識という曖昧なものを掘り下げていきたいと思います。
経営者意識というのを考える前に、経営者は何に対して責任を持っているのか。もちろん、企業の戦略だったり、コンプライアンスだったり、社会貢献だったり、諸々あるのですが、個人的には「財務諸表に対する責任」が一番大きいと考えています。会社は営利を出す存在であるので、この財務諸表がしっかりとした結果にならないと、戦略もコンプライアンスも社会貢献もへったくれもないわけです。逆に財務諸表がしっかりとした内容になっていれば、その他の要素にも目を向けられるわけで、やはり会社の基盤として財務諸表が一番大事というのが現時点で私が思うところです。
経営者が重要視する財務諸表での項目を従業員も意識できれば、従業員が経営者意識を持つことにつながると私は考えています。で、非上場の会社であれば財務諸表を社員に公開するのは、もちろんメリデメがあると思います。ただ、もし従業員に経営者意識を持ってもらいたいなら、公開はした方が良いと私は感じます。下記の記事にあるオープンブック・マネジメントの考えになるのですが、まず意識を持つ上で情報公開することが一歩目になります。

weport.jp


とはいえ、公開しただけでは従業員が数値に興味を持つとは限りません。従業員が財務諸表のどの数値に責任を持っているかが大事と感じます。それが、コストセンターかプロフィットセンターかで意識も変わってきます。この責任については経営学で、けっこう論じられているトピックですね。下記の記事が参考になると思います。

studyhacker.net


よって経営者が従業員に経営視点を持ってもらいたければ、まずは財務諸表を軸にどのような数値の責任を与えるか、またモニタリングできる状況にするかが大事と考えています。もちろん財務諸表だけを追い求めるのではなく、それ以外の振る舞いも大事なのですが、やはり財務諸表は会社の基盤だと思うので、そこを疎かにするのは違うかなと思います。財務的な部分をしっかり説明できる状態にせず、ただ経営者意識を持てというのはちょっとナンセンスかなと思うし、やはり精神論になってしまうのかなと感じます。

プロダクトマネージャーの役割について考えてみる

最近は自社プロダクトやサービスの開発で、プロダクトマネージャーを置くことも珍しくなくなってきました。ただ、その役割ってけっこう現場によっても違ったり、担当する人によっても違ったりして、何をすべきか人なのかというところまで、そこまで認知はされてない気がします。今回はその役割について少し調べてみたので、書いてみたいと思います。
まず大まかなミッション的なところですが、下記の記事にまとめられているのが分かりやすいかなと思います。似たような役割として「プロダクトオーナー」があって、マネージャーと兼任しているケースもけっこうあると思いますが、厳密にいうと分かれる感じになっています。そして、プロジェクトマネージャーのミッションとしては「サービスの成長」であって、そのために「「誰に・何を・なぜ作るか?を決め、それを形にする」といったことがざっくりとした役割になってきます。プロダクトオーナーは、それに対して「責任」を持つポジションになります。まぁ、プロダクトマネージャーに責任は無いのかと言われると、そういうわけではないのですが・・

logmi.jp


とはいえ、これだけだとざっくりすぎなので、もう少し細かくプロダクトマネージャーについて分解して解説されているのが、下記の記事です。プロダクトマネージャーの役割をざっくり2つに分けると、開発の推進(プロジェクトマネージャー的な立ち位置)と、マーケティング部分に分かれます。このマーケティング部分の役割をプロダクトマーケティングマネージャー(PMM)というポジションで、別枠で置いてる会社もあるそうです。開発の推進もそれはそれで大変な部分はあるし、マーケティングの領域もそれだけで結構広いので、一人で両方をまかなうっていうのは、けっこう無理が出てくることもあります。まぁ、たまにスーパーマンみたいな人もいるっちゃいるのですが。

careerhack.en-japan.com


私が経験してきた現場では、プロダクトマネージャーは大体このPMM寄りの人が多くて、営業とかマーケティング部門の人が担当してることが多かったです。そうなると開発の推進的なところは、エンジニアやデザイナーがある程度フォローしなきゃいけなくて、中々プロダクトマネージャー頼みに出来ないってのが現実な気がします。なので、エンジニアはチームの構成やその人の持ってるスキルを鑑みて、自分の振る舞いを考えるみたいなのも必要かなと思います。

共感の考え方とアジャイル

私は学生時代にちょっとだけ経営学的なのをかじったのですが、その時にちらっと見かけて印象に残ったのが野中郁次郎先生の論文でした。内容の詳細はそこまで覚えてないのですが、決まりきったフレームワークではなく、ある種の感情的な人間的な要素を大事にしてたのが記憶にあります。
そんな、野中先生の記事を久しぶりに見かけました。そして、今私がいるIT業界でホットなトピックである、アジャイル開発と関係があるそうです。アジャイル開発を提唱した人も、野中先生の書いた論文がアジャイルの着想のきっかけの一つになったそう。

jbpress.ismedia.jp

 

 アジャイルのプラクティスを実践している現場も多いと思いますが、人間的な感情の部分をおざなりにし、ただ漫然と実施するのは、やはりアジャイルの根本的な思想が取り入れられていないのではと感じます。上記の記事にある通り、例えばペアプログラミングならなぜペアでやる必要があるのか、なぜスクラム形式のような開発手法をとっているのか。根本にある「協調」であったり、「共感」といった部分を重要視しているという点を押さえておくと、個人的にはアジャイルのやり方はすごくしっくりくるものと感じました。
もう少しこの「共感」の部分を考え方を掘り下げたのが、下記の記事になります。会社は営利企業である以上は、利益や株主価値といった面は大事なのですが、一方で「顧客」や「社会」に対していかに共感を感じてもらうか、といった面も重要性は上がっていると感じます。で、結局共感をどう感じてもらうのかというと、行き着くところは「それらを何のために行うのか」、「どんな物語を作っていきたいのか」となると思います。まさにアジャイルでいうところの「インセプションデッキ」のような考え方に、近いところになると思います。

www.hitachihyoron.com

 

我々現場のエンジニアにおいて、言われたものを作るというところに徹する人も多いと思います、そのようなスタンスはもちろん私は批判しないです。ウォーターフォールであればこの考えは間違いではないし、全部が全部アジャイルでやるべきでもないと思うので。
ただ、ことアジャイルをやろうとなった時は、この意識は変えるべきなのではと私は思います。アジャイルが本質的に目指す「共感」のゴール設定と、この考え方はやはり合わないからです。自分たちがなぜそれを作っているのか、どういう世界をつくりたいかなど、根本の思想が合ってないとアジャイルをやっても意味ないと思うし、形式的にアジャイルを導入したところで、それは上手くいかないのではと感じます。

アフリカの貧困問題とSDGs

SDGsって最近よく聞きますよね。2015年に採択されてから数年経って、今はかなりニュースとかでも取り上げられる機会が増えてると思います。SDGsでは17の目標を掲げていて、そこには貧困だったり飢餓をなくすことや、教育機会の均等などが掲げられています。この目標自体は特に何か引っかかるというのもないし、この目標のような世界が実現すれば良いなと私も思います。

www-v2.sdg-s.jp


さて、翻って現実を見ると、特にアフリカの地域なんかは、貧困の状況が中々改善しないわけです。たびたびニュースにもなってますが、日本等の外国は支援してるのに、なぜかという話になります。
一因としては、支援が貧しい人には十分に行き届かず、途中で搾取する人がいるという話。搾取する人は豊かになるかもですが、支援を必要とする末端の人達がいつまでも、豊かになれないという状況があるようです。

chikirin.hatenablog.com


衣食住で満たされない状況にあると、当然教育も十分できなくなってしまうわけです。教育が疎かになると、善悪の判断基準が養われず、結果、内戦等の戦場に引き込まれてしまう面があると。下記の記事にそういった見解が書かれています。
また、その人達が大人になって自分達の子供が出来たとしても、貧困が解消されないと子供達もまた同じ状況になって、中々そのループから抜け出しづらい感じはします。

【【アフリカ経済】現地で働いていた僕が肌で感じた"アフリカだけ"が発展しない明確な理由】
https://www.travewriter.com/entry/africa-problem-economy-reason

もちろん他国からの支援は必要だし教育も必要なのですが、やはり基盤となる経済を作らないと、こういった地域で中々SDGsの達成は実現できない気はします。そのためには、現地の人達がちゃんと起業できる仕組み作りが、手段の一つとして挙げられます。
以下の記事にあるジャック・マーの取り組みとか、良いなと思います。ジャック・マーはアフリカの起業家を支援する活動を行なっていて、そこで成功した起業家が教育インフラにも関わっていたりします。

www.jscore.co.jp

 

日本でも昔の渋沢栄一の取り組みにあるように、経済の自立した成長と教育は関連性が深いと私は考えています。もちろん従来型の支援も大事なのですが、一方でいかに現地の人が主導で経済を回せるかというのも大事です。そこで、雇用のニーズが高まることで教育の必要性もより認識されていくのかなと感じます。SDGsを実現する上で、もちろん環境等の取り組みは大事なのですが、一方で今貧困で苦しむ国をどう経済的に自立させるかというテーマはよりフォーカスされても良いと思ってます。

www.kokugakuin.ac.jp

 

なぜ精神論がナンセンスになってしまうのか

最近は政府のコロナや五輪対応で、それ単なる精神論だろ、と突っ込みをいれたくなることが、ちょこちょこあると思います。少し前の記事ですが、丸川大臣が「五輪で絆を取り戻す」といった、ちょっと良く分からない精神論が印象的ですね。

mdpr.jp


コロナの普通でない状態だから、根拠のない精神論がイラっとくる部分はありますが、精神論が通用しなくなったのは、時代の流れかなとも感じます。私の前のブログ記事でも取り上げましたが、昔は終身雇用で真面目にがんばれば良かった時代が、今は真面目にがんばったところで、高い収入が得られるとは限りません。
なので、良かった時代の年寄りが精神論を振りかざしたところで、反発が生まれてしまうし、そこは世代による分断があるのかなとは感じます。

sugimuratakashi.com


では、それ精神論じゃねという反発が出ないようにするにはどうすればよいか。一例を挙げると、下記の記事にあるチームビルディングの進め方などが参考になると思います。
チームビルディングというと、とりあえず打ち合わせを増やすとか飲みに行く、みたいになりがちな部分はある感じはします。この記事を読むと目標達成までの必要なプロセスの決め方と、気を付けるべきポイントがあって分かりやすいです。精神論で押し切るのではなく、一つ一つステップを踏んで目標達成のためにどう道筋をつけるか、というのは大事だなと思います。

www.businessinsider.jp


プロセスを決めたとしても、もちろん事前に想定した仮説が外れることはあるわけです。そこに対して外れたから批判するのではなく、ではどうすれば良かったかという前向きに議論できる土壌はそこでやっぱりダメじゃんという批判をするのではなく、なぜダメだったか、次はどうすれば良いかという建設的な議論が必要と思います。実行主体がきちんとプロセスを踏んで物事を進めてるなら、批判する側も精神論ではなくきちんと分析した上で批判すべきと感じます。

さて、ここまで精神論はいかんよねということを書いてきたわけですが、特に精神論を全否定したいわけではなくて、精神論が必要な時は必要なわけです。どんだけプロセスを踏んでも人のやる気が全然なかったら物事は成功しないでしょう。また、人間は感情的な生き物なので、その時々によってパフォーマンスが変わってくることもありうるわけです。
そんな時大事なのは、下記の記事にあるような信念や価値観のすり合わせです。いかに押しつけにならずに、その人の自主性が発揮できるように精神論的なのを使ってくかが、大事なのかなと思います。

skaughh.com