とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

真面目に頑張っても評価されない社会で

できれば楽して金を稼ぎたい、私だってそう思うし、そう思っている人は多いでしょう。真面目に頑張っても大して給料が上がらない、そういう状況だったら人は頑張る気はなくすでしょう、当然です。以下の記事にあるような、不真面目にやってた方が楽だし給料もらえるし、いいんじゃないという気持ちになるのは必然でしょう。

life-shift.blog


さて、その必然が続いてしまった日本ではどうなったか。巷では楽に稼げるとうたってる怪しい情報商材だったり、いい加減な仕事をして金をもらうフリーランスだったり、そういう人にそそのかされてバカを見る人だったり、そんなのを見かけるのも普通になってきました。間違いなく社会は蝕まれてる方向にいってる気がします。じゃあどうすれば良いかというのを少し思考してみます。

そもそも「真面目」とは何かというのを、もう少し深掘りしていきたいと思います。個人的には仕事で真面目であるというのは、「言われたことを文句を言わず取り組む」ことと同義と思っています。ここで注意したいのは言われたことを頑張って取り組むものの、成果が出せるかは別問題ということです。そりゃ人によって適性が違うんだから、割り振られた仕事をどんなに頑張っても成果が出ない時は出ないものです。適性が合った仕事が割り振られた人はラッキーですが、そうでない人は成果が出せないまま給料が上がらないままの負のループに陥ってしまいます。
また、一方で成果を出しているけど給料を上げない、いわゆるブラック企業の存在も大きいでしょう。真面目な人は結局それに反抗せずに仕事を続けてしまうので、気づいたら他の会社の人と給料に差がある、という状況も全然ありうるでしょう。


少し私のことを書くと、私は20歳代の前半くらいまでは自分のことある程度真面目という自負があって、大学ちゃんと卒業して新卒で会社に入社する、ここまではまぁ良かったと思います。ただ、新卒で入社した会社の仕事はしばらくは続けてたのですが、やはり自分に合わないと感じてしまい、結局ツラくなって1年くらいで転職しました。2社目は数年続いたのですが、苦手意識があったマネジメントを求められてくるようになり、このまま続けてもツラくなるだろうと思ってやっぱり転職してしまいました。
そんなこんなで転職を何回か繰り返して、気づけば一般的な認識からは不真面目なほうにカテゴリーされる部類に入ってると思います。一般的な私の年代で真面目な人のイメージで言うと、部下を持ってる・結婚してる・人付き合いをそつなくこなす、こんなところでしょうか、残念ながら私は1つも満たしてません。でもいいんです、自分の適性はある程度分かっているつもりで、社会から求められているようなことを無理して続けて真面目になるよりも、自分の適性に合った生き方の方が性に合っていると感じるので。
でもこういう生き方をしている成果として、ある程度変化に対応できる力は得られたと思ってます。自分の強みを活かしてこれた成果があり、そこに対してネガティブな感情はほぼないので、次の場でも自分の強みが活かせることができると考えられるからです。たぶん自分が辛いことを我慢して続けてたら、おそらくそれを次に活かせることが出来なかったようには思います。


では、今真面目にがんばってる人はどうすれば良いか。もちろん、私の真似をしてやりたいこと出来なければ会社を辞めてしまえ、と言うつもりは毛頭ないです。辛いことでも我慢して続けるということはある種社会で生きる上では大事なことですし、こんなこと書いてる私だって、そりゃ好きなことばかりやってるってわけでもないし・・。
個人的には、その人自身というよりは、やはり周りがきちんとその人に対して適性に合った仕事を割り振ってあげることが大事と思います。例えば100ある仕事のうち20とか30だけでも、その人のやりたいことや好きそうなことをやらせてみる。そこで高い成果が出せれば会社のためにもなるし、真面目な人はそういった仕事を割り振ってもらえた恩に報いてくれると私は考えています。

今これだけ不真面目な人が世に蔓延っている中で、真面目な人は貴重な人材と私は考えています。そこでその人をボロ雑巾のように使いたおしてしまうのか、ちゃんと成果が出せるように導いてあげるのか、周りの人にかかってると思います。少しでも真面目な人が報われるような社会になっていくことを切に願っています。

AppleとGoogleのオンライン広告(2021年5月時点)

このブログで何回か取り上げたオンライン広告、なかなか動きが激しい業界ではありますが、現時点での動きや感じたことまとめてみます。
昨今のオンライン広告で影響力のあるメインプレイヤーは、AppleGoogleでしょう。もちろん、例えばFacebookとかもオンライン広告で収益をあげているのですが、どちらかというとAppleGoogleの出方で今後の戦略が変わってしまうので、どちらかというと振り回される側な感じがします。やはりハードやOS、ブラウザあたりを押さえている会社は強いですね。
オンライン広告ではCookieやアプリで取得できる端末IDを上手く使うことが、ターゲティングを行う上で大事ですが、Appleがここら辺の規制を強化しています。すでにSafariではサードパーティCookieは使用不可で、今年の4月には端末IDもユーザの許可なく使用できない仕様としています。

iphone-mania.jp


AppleのCEOクックは、ターゲティングを無許可に行うようなアドテクは悪で、これを排除することがユーザ体験をよくすると主張しています。

jp.techcrunch.com


一方でAppleは自社のプラットフォームでは、プライバシーに配慮するという建前で、独自にユーザー情報を収集してるわけです。もちろんアドテク業者を排除することでユーザー体験を向上させる一方で、より自社プラットフォームへの囲い込み的な裏テーマも、あるかなとは感じます。

gigazine.net


一方でGoogleサードパーティCookieの代替として進めてる「FLoC」ですが、こちらはあまり旗色がよくないようです。プライバシーに配慮した上でユーザ情報を収集する方針だそうですが、なかなか周囲のベンダーからは賛同をえられてないみたいです。

internet.watch.impress.co.jp


Googleの収益の多くを占める広告収入ですが、ターゲティングなしで維持できるかというと、怪しい状況なわけです。なので今のところはAppleの方針が優勢な感じはしていますが、Googleの巻き返しにも期待はしたいです。

ハッタリに惑わされない考え方

例えば会社とか事業で成功したいとなった場合、ハッタリをかますこともあると思います。少し前にホリエモンが「ハッタリの流儀」という本を出版してから、個人的にはこういうハッタリをかましてくる人が増えた気がします。ハッタリをかますこと自体は一概に悪いとは言えなくて、下記の記事にあるように、やりたい仕事を掴むためだったり自己の成長の為にプレッシャーをかける意味で有効なのかもしれません。ただ、それはあくまでハッタリをかました以上は、実行するということが前提になっています。

ハッタリは冗談抜きで自己成長のために必要だと思っている話 | メモブログ


一方でハッタリをかますだけかまして、実行しないケースが世の中でどんどん増えてきてしまっているような感じもします。クラウドファンディングに出没する悪徳業者であったり、情報商材屋であったり、ハッタリだけかましてお金だけむしりとるような人達も多くいます。こういう人達が増えている現状を鑑みると、ハッタリを見抜く目というものを周りが養う必要が出てくるわけです。

note.com


ハッタリをかます人の多くは「努力すれば金を稼げる」という、何かある種のプロパガンダのようなものを発することが多いように感じます。もちろん成功する人は努力をしているのでしょうが、努力したら成功するとは限りません。下記の記事でひろゆき氏が言っている通り、「1つの決定的な要因はなく、さまざまなことが絡み合って、人生は成功へと導かれていく。」というのが成功する人の実態に近いのかなと思います。

diamond.jp


だから、ある種のがんばれば何とかなる的な思考には、まず批判的な視点を持つべきと感じます。新しいことに興味を持つの自体は全然良いことなので、まずは自分の生活に大きな影響を与えない小さい範囲から始めてみるのをおすすめします。いきなり仕事辞めたり何十万円も投資したりして、後にひけない状況になるのは悪手でしかないと思うので。

アカウントベースドマーケティング(ABM)とは

マーケティングと言うと、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。最近だとあまりリアルでのイベントや販促やイベント等を行うのも難しくなってきたので、オンライン広告やメールマガジンSEOなんかを思い浮かべるかもしれません。もちろん、広く知ってもらういわゆるtoC向けの商材ならこのような施策になるのですが、toBとなると事情が変わってきます。
システムの業界では、SESでの案件獲得にみられるように、直接の顧客はtoBになるケースが多いです。toBマーケティングでもtoCのような施策ももちろん行うのですが、一方で顧客の会社の事情や予算などにも目をむける必要があって、toCとは異なる要素もあります。一般的に論じられるCRM(顧客管理)は、このtoBマーケティングには必ずしもハマらないケースがあります。そこで最近出てきているのが、会社という組織に対するマーケティング、アカウントベースドマーケティング(ABM)です。ABMでは下記の記事の通り会社に目を向けて、周辺の情勢やその会社のキーマンを加味して、いかにコンタクトを取るかという点が大事になってきます。

www.sunbridge.com


ABMで大切なことの一つとして下記の記事にある通り、いかに一社当たりの売上を大きくするか、ということです。企業が新規の会社と契約を結ぶというのはけっこうハードルが高くて、例えばオンライン広告をたくさん流したところで衝動買いが起きるといったことはあまりないわけです。なので、いかに顧客の企業の懐に入っていってビジネスチャンスがあるか深掘りしていくかが大事になってきます。

www.eigyoh.com


さて、そんなABMですが、どんなツールが現状あるかというと、代表的なものの一つとしてSPEEDAやNewsPicksでお馴染みのユーザベース社が出している「FORCAS」です。元々持っている企業のDBを強みに、既存顧客の分析や、既存顧客と類似性が高い会社のサジェスト、企業の状況に特化したシナリオの分析機能があったりします。どの顧客を重点的にアタックすれば良いか、ターゲティングの機能が充実している感じがしますね。

imitsu.jp


もちろん、こういったターゲティングは大事なのですが、既存顧客の売上をいかに最大化するかという観点での支援機能はパッと見た感じ、まだそれほどではないのかなと思いました。逆に既存顧客をいかに深掘りするかという観点でツール化されたものがあれば、けっこう面白そうだなとは感じます。

ソースコードへの意味付けと型に関する私見

以前に私はZennにて、動的型付け言語に関するポエムを書きました。

zenn.dev

 

その際、型が無いと無秩序になりやすいという点や、動的言語自体の問題というよりはそれを使う側に問題があるという内容に触れました。もちろん、使う側のレベルやメンバーの知識の知識のバラツキの為に、静的型付け言語を採用することが有効なのは言うまでもないです。型に合わないような入れ方をしたら事前にコンパイルで落としてくれるし、型を見ることでそれが取りうる値も想定できます。
ただ、型を使えば実装としてそれがOKになるかといえば、必ずしもそうは言えないと私は考えています。その型に対する意味合いが明確でないと、結局その処理何がやりたいんだっけとなってしまって、最低限の秩序は保たれるものの、全体として意味が分かりにくくなってしまうことは防げないとは感じます。例としては少し極端ですが、下記の記事にあるようなJavaのコード例とかで、何も考えないと手続き的な書き方になってしまい、この処理は何がやりたいんだっけってのが分かりにくくなってしまう感はあります。もちろん、これは静的型付けにかかわらず、動的型付けにも言えることではあります。

mizchi.hatenadiary.org


例えばHaskellにしても上級者が高難度な型をたくさん作ってしまうと、まさに型パズルのような地獄にハマります。私も前の現場で少しHaskellを触ったのですが、この型どうやって合わせりゃいいんだみたいな気持ちになって、本来的に処理としての意味合いがよく分からなくなった気持ちにもなりました。(もちろん私のスキルが低いと言われればそれまでですが・・)

これに対する一つの個人的なアプローチとしては、意味合いを明確にすべきコアな「ドメイン」に対しては型をしっかり定義し、下記の私のZennの記事にまとめてある通り、それをモデルとして図示化できることが大事と思います。逆にコアじゃない部分に関しては無理しして型付けする必要はないと思っていて、ある程度ゆるふわでも良いかなと考えています。

zenn.dev


今はPHPとかで、下記の記事のようにプロパティに型を付けられる機能が追加されています。Ruby3でも型をチェックできる仕掛けが追加されています。ので、動的型付け言語であっても、こういった型に関する意識は高まっています。

public-constructor.com


現在の私的な結論としては、コアなドメインに関してはしっかり型付けをし、コアじゃない部分は動的型付けでサクッと書く、というのがベターなアプローチではないかと考えています。結局何がコアになるんだというのは、きちんと業務的な重要性や概念を踏まえないと抽出できないので、第一歩は業務理解であることは言うまでもないです。メリハリをつけることで、その業務の理解が浅い人もコアな概念を押さえるところから始められるので、注力して見るべきところに集中できるのではと感じます。

責任と決めること

日本の政治家や企業のトップが無責任、という印象を持ってる人は多いのではないでしょうか。まぁ、前からそんな感じが続いているような気がしますが、いざコロナ等の問題が起きて一気に顕在化したような感じがします。なぜ日本では、多くのトップが責任を取ることを避けてしまうのか。今回は個人的に感じたことを書いてみます。
まず、日本の大企業や政治での意思決定で大切なのは「根回し」です。別に根回しが悪と言うつもりはなくて、根回しが多すぎるという点が問題で関係各所と調整して上に上がる時には、ほぼ決定事項となっています。結果、トップは根回しされた結果を否定するとそれがちゃぶ台返しと言われてしまうので、必然的に無条件に承認することが多くなってしまいます。

isaac-gaikokugo-school.jp


で、承認された物事の結果については自分は承認しただけだしということで、自分事にはなりにくいのかなと感じます。もちろん周りの人の言うことを聞くのは大事なのですが、最後に決定するのは組織のトップであって、そこをいかに咀嚼して判断するのかがメチャメチャ大事だと思ってます。逆に組織のトップの仕事ってそれが一番大事で、稟議で上がってきたものを承認していくだけのトップは、そもそもの役割を果たしていないと言えるでしょう。
何かを決めるときは、材料がちゃんと揃ってない時が多いと思います。でも、その状況下でも決めなきゃいけなくて、そのような時はどの選択をとればリスクが少なくてリターンが多いかというのを意識する必要があります。特に現代は不確定な要素が多く、ノーリスクの選択はほぼ不可能に近いと感じます。そういった際にいかにリスクを見定めることができるか、というのがトップに求められてくる能力と感じます。

careerlab.tenshoku.mynavi.jp


もちろんトップだけじゃなくて、私のような一兵卒であっても決めることの責任はきちんと持つべきだと思います。「誰が言ったから」とか「慣習だから」とか、今までならそれでも良かったと思いますが、それが正解とは限らない時代になってきました。だから、自分は何を正しいと思って選択したのか、その選択したものに対して自分はいかにコミットできるか、そういった姿勢が一人一人に求められてきているような気はしています。

コネクテッドTVと広告

最近、ちょくちょく「コネクテッドTV」というワードを見かけます。コネクテッドTVとは端的に言うとインターネットにつながるテレビのことなのですが、最近販売されているテレビは大体がインターネットにつながるかなと感じます。コネクテッドTVでは従来のテレビ番組に加え、YouTubeやABEMAといったインターネット配信される動画も視聴できます。YouTubeなんか分かりやすいですが、広告についても民放のように枠で固定された配信の仕方ではなく、ユーザの特性等によって自動的に配信される広告、いわゆるプログラマティック広告が配信されています。

otonal.co.jp


ということは、つまり今までWebやアプリのユーザをターゲットとしていた商材について、テレビを視聴するユーザをターゲットに広告配信が行えるようになってきているということです。下記の記事のように、コネクテッドTVの視聴者をターゲットとした広告制作を行うサービスも出てきています。YouTube広告なども安いというわけではないですが、それでも民放テレビのCM枠と比べたら、全然安く広告出稿できると思います。アメリカではコネクテッドTVの広告市場が大きくなっているみたいですが、日本でもこれから大きくなっていくのではと感じます。

prtimes.jp