とあるIT屋の独白

ITや経営について主に書きます

現代のシステムエンジニアの仕事について考えてみる

システムエンジニア(SE)というと、システムの開発や設計を行うエンジニアです。そんなん分かっとるわという話ではあるのですが、最近はアジャイル開発やDDDといったアプローチが認知されるようになってきて、SEに求められる役割や仕事のやり方も変わってきてる気がします。というわけで、今回はあらためてSEの仕事について考えてみます。
まず、おそらくおおかたの人がイメージするSEの仕事は、以下の記事にあるようなウォーターフォールの工程において、要件定義や設計を行うというものになると思います。もちろん実際にはウォーターフォールで行われてる開発はたくさんあるし、イメージとしては間違いではないです。

proengineer.internous.co.jp

ただ、与えられた要件を開発する、それだけがSEの役割となってしまうことには私は少し寂しさを感じてしまう派です。以下の記事にあるGoogleのエンジニアだった方が、Googleを辞めて、よりユーザに近い環境で開発したいといった気持ちは分かります。
私自身も元々はウォーターフォールの現場で仕事をしていて、与えられた要件を開発していくこと自体は嫌いではないのですが、よりシステムやサービスの価値を高めるかといったことを考えたくて、転職もしたりしました。

amiq11.hatenablog.com


「価値を高める」といった観点はアジャイルが認知されるにしたがって、エンジニアにも少しずつ求められてきている気がしています。以下の記事にある「SEはお客様と一緒に価値を創造する仕事」というのはけっこうしっくりきていて、言われたものを作るところから脱却していく必要があると感じています。
今の環境は不確実性が高く、顧客やプロダクトオーナーが要件の正解を持っているとは限りません。だから、ただ言われるままではなく、本当に価値を作り込むという姿勢をエンジニアが持たないと中々良いものが出来ないと考えています。

logmi.jp


それはコンサルの仕事では、という意見もあるとは思います。システムや機能の企画フェーズにおいてコンサルを入れるケースも、出てくるでしょう、ただ、コンサルは企画するだけ、SEはそれを作るだけで上手くいくでしょうか。下記の記事にある通り、
「自分は企画しかしないからといって実装を考えず机上の空論でやりすごしていいはずもないし、他人が企画したものだからといって何も考えずに実装をしていいものではない。」
という考えは個人的には共感できるものがありました。

note.com

 


もちろん各々の得意分野があるので、大まかな役割は定めておくべきですが、「企画だけやれば良い、開発だけやれば良い」ではなく、エンジニアも企画段階で価値を見定める必要があるし、コンサルも開発フェーズ時に本当に価値があるものは完成できるか考える必要があると思います。だから、コンサルだからこれしかやらないとか、エンジアだからこれしかやらないという時代はおそらく徐々に終わっていき、自分が価値向上のために何が出来るかという姿勢で仕事が出来る人材が、
生き残っていくようになっていくと私は感じます。

経営資源としての情報の変化

経営資源というと、ヒト、モノ、カネ、情報の4つがあげられます。ビジネスでお金を動かすとなると、この4つのいずれかを動かさなければいけません。例えば旅行業や宿泊業は、顧客である「ヒト」が動かないと始まらないし、Amazon楽天などのEC業は「モノ」が動かないとビジネスになりません。コロナによる影響で、今このバランスがコロナ前と比べて大きな変化があると考えています。コロナによる影響として、「ヒト」が動くハードルが非常に高くなりました。ヒトが動けなくなった分、情報を動かすようなビジネスが大きく伸びて、おそらく今後もこの流れは続くでしょう。
「情報」と一口に言っても何ぞやという話なのですが、情報というと「データ」がまずは挙げられると思います。データというとデータベースに格納されるような、顧客情報や取引情報などのいわゆるレコード情報がイメージされると思います。もちろん、一昔前まではそれでもよかったと思いますが、最近ではITのコンテンツも情報資産としての重要度が大きくなっていると私は考えます。下記の記事ではコンテンツを「情報の中身」として位置付けていて、コンテンツの区分としてデジタルコンテンツやWebコンテンツを挙げています。

blog.core-j.co.jp


 情報を活用したビジネスといえば、データ販売やレポーティングのようなものが、まだまだイメージとして強いと思います。もちろん、こういったビジネスは今後も継続して行われていくと思いますが、いわゆる「コンテンツ」が今後はIT業界以外でも重要になってくると私は考えています。
例えば下記の記事にあるような製造業の例。製造業ではデジタル上で製品の評価等のシミュレーションを行う仕組みが、今後も検討されていくでしょう。もしそういった取り組みが上手くいけば、その仕組み自体をパッケージ化してビジネスができる可能性が出てくるわけです。まさに、自社で行われている業務の「コンテンツ化」であると私は思います。

monoist.atmarkit.co.jp


まだ当分コロナで人が動きにくい状況は続くだろうし、コロナが終息した後に人が従来通り動くかというと、そうでない可能性もあるわけです。だから、人が動かなくても情報を動かすことでビジネスが行えるコンテンツ化の取り組みは、意義があると感じます。

そろそろ二元論で考える思考はやめた方が良いと思う

時代劇とかヒーローものをイメージすると分かりやすいのですが、日本人というか人間は善悪の二元論で白黒つけることが好きな気がします。もちろん、それは否定しないのですが、現実世界において白黒つけられることは、けっこう少ないと私は思っています。善悪をつけたい気持ちは分かりますが一方的に片方が悪というケースはあまりないと思っていて、双方どこかしらに欠点だったり、メリット・デメリットがあるほうが多いと思います。
例えば下記の記事にあるような「東日本大震災のガレキ問題」について。ガレキは安全か危険かという二元論で論じられてしまったのですが、そもそもなんで安全か・なんで危険か、危険であればなぜ危険でどういうリスクがあるのか、ということが掘り下げられず、単純な安全・危険だけで物事が動いてしまうのは少しどうかなとは感じます。

medium.com


これは、サービス設計においても言えることだと思います。下記の記事にあるような、マーケットインとプロダクトアウトの二元論でけっこう方針が分かれるような気がしますが、どっちも置かれている状況によっては正しいので、絶対的にどちらが正しいというのはないと思っています。その状況とは、自社の社員の技術だったり、定めるべき顧客のターゲットだったり、サービスの目指すところだったり、いろんな要素が絡み合って最終的な方針が選択されると感じます。

www.jri.co.jp


もちろん昨今、変化が激しい世の中なので、過去にマーケットインで成功したけど、今はマーケットインが上手くいかないというのはあると思います。周りが変化している以上は、その正解も変わっていくのが必然であって、二元論で出した結論に縛られるとこういった変化についていけないリスクもあるのではないでしょうか。

コロナの影響もあってか、ますます先の読めない時代です。そんな時代にあって大切なのは二元論に縛られることではなく、状況状況に応じた最善を考えることだと思います。最善を考えるにあたって、もちろん一つの考え方だけでは行き詰まりをみせる気がします。だからこその「多様性」であって、多様性を大事にしている組織ほど変化に対応できるのかなとは感じます。

el.jibun.atmarkit.co.jp

 

戦略とは何かについてあらためて考えてみる

戦略について昨年に下記のような記事を書いて、

toaruit.hatenablog.com

 

その時は「進むべき方向性、シナリオ」といったことがどんなものなのかを、中心に取り上げました。もちろん、戦略の定義としてはこれでほぼ終わりなのですが、では進むべき方向性をいざ決めるといっても、方向性って何なんよ、ちょっと抽象的すぎないか、という感じもやはり拭えません。というわけで、今回は戦略というものがなんなのか、もう少し突き詰めてみたいと思います。
目標設定の手法としてOKRが採用されるケースも、最近は増えている気がします。目標を設定するにあたって、その企業の戦略にもとづくのが大事と感じられますが、例えば一部門が企業戦略の全てを目標に設定するのは難しいと思います。そこには、取捨選択があって自部門が何に集中すべきか決める必要があります。

note.com

 

OKRの目標設定と同じロジックで、一企業が出来ることには限りがあるので、戦略を策定するときも同じプロセスになると思います。本来は理念を実現することを実行すべきだが、ただ限られた時間やリソースがあるなかで、何に集中べきかというのを決める必要があります。下記の記事では、戦略は「パッション+取捨選択+ストーリー」と述べられています。

hiroyukiarai.jp

 

下記の記事によると、限られた選択肢を明示することは実行のしやすさにもつながるそう。たしかに、曖昧な方針よりは明確に何をやると決めるほうが、分かりやすさはある感じがします。ので、戦略とは何をやるべきかの「選択」というのが、本質的な考え方かなと個人的に感じました。

www.dhbr.net

天才の創造性を活かすためには

かなり前になりますが、本ブログで天才を社内でどう処遇すれば潰さずにすむかという観点で、主に日本にみられるようなマネジメントのキャリアパスについて少し考えてみました。

toaruit.hatenablog.com


今回はこの天才の良さを活かすためにはどうするかというのを、もう少し深く考えてみたいと思います。

私が働いていた現場にもいたのですが、ある特定の分野に秀でた人がうまく会社の業務にフィットしない、といったことは経験されている方もいるのではないでしょうか。下記の記事にあるような、オーバースペックな人たちです。

jp.quora.com

 

オーバースペックな人たちに合うような業務を与えられないのは、マネージャーや会社のせいと思うかもしれません。それは正しいと言えば正しいのですが、ただ会社の事情もあって中々彼らに合う仕事が与えられないのも現状だと思います。それは、ある側面では、普通の人の集団である組織には、彼らの気持ちが分からないと言えるかもしれません。
下記の記事は女性に限定した話となっていますが、特に性別関係なく当てはまる部分もあるような気もします。特に「価値観の押し付け」であったり「同調圧力」は、会社や学校などで感じたことがある人も、多いのではないでしょうか。

www.michellenpa.xyz

 

 もちろん、世の中のいわゆる「普通」に合わせた価値観は大事で、世の中の常識が通じない組織は続かないかなと思います。正しいと思われることが通じないのは、組織としては問題があるように私は感じます。
一方で、世の中の常識から逸脱するようなアイデアを「許容する」ことも大事だと思います。天才が出すアイデアが突拍子もないものだとしても、それを却下せずにシーズになりうるものか試してみるとか、そういう取り組みも大事と感じます。下記の記事のような事例が、参考になるかと思います。

www.itmedia.co.jp


会社である以上は、利益を出さなきゃいけないし、ユーザの声も聞かなきゃいけません。これをないがしろにしては、そもそもビジネスとして成立しないと考えます。ただ、それとは別軸で下記の記事にあるような、「どんな世の中を作りたいか」という観点も大事だと思ってます。
天才にもいろんな種類がいると思っていて、ビジネス的なセンスがある人、瞬発力がある人、アイデアを出すのが上手な人、などなど。いろんな人を活用するためには、企業が色んな軸を持つ必要性があると感じます。

codezine.jp

 

現実と虚構とテクノロジー

最近はコンプライアンスが厳しくて、テレビなどのコンテンツが昔と比べて自由に作れないといった話を聞きます。時代の流れと言えばそれまでなんですが、ではなんでこのような変化が起きているのでしょうか。下記の記事では、
「昔のスターはプライベートを絶対に語らなかった。それがSNSが普及して、みんな、自分からプライベートを明かすようになったでしょう? 芸能人といえども、ものすごく近い存在になったことも、スターがいなくなったことと無関係ではないと思います」
といったコメントがあって、SNSやオンラインの浸透が無関係ではないかなと感じます。

www.news-postseven.com


SNSやオンラインが浸透するにつれて、ある種のフィクションと現実との違いがつかなくなってきてるのではと感じます。下記の記事によると「認知機能の低下」と述べられていますが、現実と虚構との境目がテクノロジーの進化によってつかなくなってる部分も否めない感はあります。ので、テレビやアニメなど虚構に含まれるような世界に対する規制が厳しくなっている側面があると思います。
テクノロジーによってある種の作り話が体験できてしまうことで、「そんなの作り話でしょ」が通じなくなってきてるのかなと感じます。

note.com


現実と虚構との境目という観点だと、下記の記事にあるように今後より進化するだろうと思われます。そうすると極論ですが、自分の思いのままの世界が虚構で作れるようになって、虚構の世界で行われてるようなことが現実世界でも行われるリスクのようなものも否定はできない状況と感じます。

globe.asahi.com

 

ということで現在、表現の規制について岐路に立たされているタイミングと私は考えています。表現をガチガチに規制することで、現実世界との整合性を担保するというのも一つの手としてはありといえばありかもしれません。ただ、個人的には別の道も模索すべきだと思っていて、それは根底となる倫理観をあらためて見直すということです。
倫理観といっても何ぞやという話なのですが、おそらく一昔前までは職場等の所属する組織における決まり事が、大きなものだったかもしれません。基本的に会社を変わるということがあまりないということもあって、その組織の倫理観がそのまま所属している人の倫理観にもつながってたように思います。ただ、変化の激しい今の時代、会社も潰れるし転職なんて普通だし、そうなるとよりどころとなる組織がなくなる人が多くなっていきます。そんな今だからこそ、下記の記事のような「自律性」が大事になってきて、自分自身で何が正しいかを判断する力が重要になってきます。

note.com


そもそも、こういった倫理観は、組織や人から押し付けられるのではなく自分で考えて導き出すべきという本来の形に戻ったのかもしれません。出光創業者の出光佐三は「道徳は全人類が平和にしあわせに暮らすということであって、それ以外にはない。したがって民族や時代や国によって変わるようなものではない。この意味で、思想も道徳も人類の存するかぎり唯一永久不変である。」と述べていて、最終的には人間が本来大事にすべきようなことに回帰していくのかなと感じます。

www.idemitsu.com

コミュニケーションとチームとモチベーション

最近、ふと見かけた下記の記事。会社勤めしてると、辞めたくなるような時はやはりあって、なんとなく共感できた点が多かったです。

haneuma0628.hatenablog.jp


上記の記事にある通り、コミュニケーションとチームの部分は、その会社で働き続けられるかというのに大きく関わってくると私も感じます。てなわけで、今回はこのことに関して私の考えをまとめてみたいと思います。

 

【コミュニケーションに関して】
適切なタイミングで適切な手段を選んでコミュニケーションをとるのに尽きるのですが、そうは言っても中々うまくはいかないのが現状です。ただ、何でもかんでもとりあえず話し合いで解決するのは違うと思っていて、まずはその問題はどうやったら解決の道筋をたてられるのか、考えるのが大事かなと考えます。
その上で話し合いのほうが早く解決すればそれでよいし、別に話し合うほどでもなければテキストでよいと感じます。手段が適切かというのを考えるくせをつけないと、いつまでたっても効率化は出来ないなとは感じます。


【チームに関して】
個人的に考えているのは、まずチームで起きることは全て自分事にするということです。もちろん、自分一人では出来ないこともあると思いますが、それでも他の人がどういう対応や行動をしたのかというのは、出来る限り把握すべきです。それをせずにみんなで責任とろうとかやると、結局は誰の責任だ、みたいな議論がおきるし、チーム内でそんなことをやることも不毛だと感じます。
また、チームで起きてることを全て把握できない場合は、それはチームの分割単位に問題があると思います。各人が適切にチームの状況をある程度把握できる単位が望ましくて、それは組織設計の時に考慮されるべきと私は考えています。

 

最後にモチベーションですが、コミュニケーションとチームが自分にとってある程度フィットしないと、中々上げるのは厳しいと感じます。自分に合わないやり方で成果をあげてる人を尊敬することは難しいだろうし、フラットな目で他の人の能力を計れなくなってしまう気がします。
また、コミュニケーションのとり方やチーム構成はある種の組織風土であるわけで、これを変えにいくのは中々に骨が折れると思います。改善できないなと思ったら、環境を変えるのも一つの手と感じます。