人間にとって自由であることは喜ばしいことであり、憲法で自由権が定められている日本にいれるということは、運がよかったなと最近感じます。さて、この「自由」という言葉、いろいろなところで使ってはいるものの、いまいちこの言葉の本質が曖昧なのかなと感じます。したがって今回は少し趣向を変えて、自由について考えてみます。
自由といっても他者に危害をおよぼすような傍若無人な振る舞いは当然、日本でも処罰の対象であり、そういった意味で考えると、自由とはある決まったルール下で可能な範囲での振る舞いという話となります。おそらく下記記事にあるようなミルの考え方が、一般的に言われる自由の範囲に近いかなと思います。
【ミル『自由論』を箇条書きで要約する】
https://www.philosophyguides.org/compact/mill-on-liberty-in-itemized-form/
ここで刮目すべきは「行為の自由」でして、なにか新しいことや自分のやりたいことなど始めるときは責任や危険をともなうことがあります。バーナード・ショウが言っている通り、人間は実は自由であることを恐れているかもしれません。
【バーナード・ショー『自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を恐れる。』】
https://www.a-inquiry.com/ijin/3135.html
日本の会社でも自由を体現するために、フルフレックスを制度として定めている会社もあります。ですが所属する社員の人達がその自由を有効活用できているかというと、まだまだ課題があるようです。
【義務と権利から、自由と責任へ
モノサスがフルフレックスを導入した理由】
http://www.monosus.co.jp/posts/2017/03/292424.html
では我々一人一人が自由であるためにはどうしたらいいか、以前も本ブログで紹介した元日本代表監督の岡田さんの言葉にある通り、
http://toaruit.hatenablog.com/entry/2016/04/03/015421
サッカーという枠の中でも、自己で判断するというのは、まだまだ難しいことなのだなと感じます。下記も岡田さんの記事なのですが、自分が自由であるためにまずは型を学ぶ必要があり、この型こそが第一歩であるのかなと。
【岡田 武史 インタビュー 第1回】